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そういえば、この生徒指導室に最初に黒崎が来たのも茶絡みだったよな。
茶でも出してやるとかで連れ込んで…。

結局あの時は酒しかなかったんだけどよ。


とにかく常識の範疇内のやり方で淹れた茶にありついてようやく一息ついた。
黒崎は冷やし茶葉出しにもかかわらず
『普通に淹れてもこのお茶美味しいですよ』
と言ってくれてはいたが、
あのエキセントリックかつダイナミックなやり方で淹れた茶の美味さは
意外性というアプローチから味覚を刺激してくれるんだ。
というか、
あのドスい色!
そして不気味な泡!
といったグロな見かけから無意識に味に対する採点が甘くなっていたのかも知れない。

なんていうか、コワモテのやつがちょっと優しかったらめちゃ親切にされたって気になるだろ?
あれと似たようなもんかも知れねぇぞ。

とりあえず茶のことはもう今は忘れよう。


で、何だった?

そうだそうだ。生徒指導だ。

お待たせしました。
うれしはずかし☆生☆徒☆指☆導☆だ。


しかし…

どう切り出していいものか。


いきなり実演でレクチャーするのも、
おそらく黒崎は首に絆創膏を貼ってるってことが
見るやつから見ればエロいことを想像さすなんてことは微塵も思っちゃいなかったろうから、
いきなり押さえつけて首筋をぢゅーぢゅーやったら
こっちが変態と思われる可能性もないではない。

変態ならまだいい。
先生は吸血鬼かとか思われたら…
いや、吸血鬼のほうが変態よかマシか。
ん?
同じようなもんか。
むしろヴァンパイアとか言って気取ってるが、
人体の一部分を摂取とか若い処女でないととか
偏食通り越してもう社会人としてダメだろ。
ああ人じゃないのか。
まだかろうじて人の範疇内にある分、
変態のほうがいいのかも知れない。

ていうか、
話戻ってそのへんの切り出し方もだが、
どこまでで止めるかも問題だ。

放課後でしかも中から施錠できて密室化できるとはいえ、
まだ生徒も職員も残っている校舎の一室なんだなここは。

前みたいなことやっちゃあ俺はともかく黒崎のリスクばかりが高い。
うむ。
これを教えるのはやはり課外授業のほうが望ましかったか。
だがもう呼び出しちまった。ここはもう教育の一環として、
腹を括って教師として教師以外の何者にも変容することなく黒崎を指導しよう。
と思う。

つか、
だったらそんな「お待たせしました」と鳴り物入りで気合い入れることもなかったか。

ははは。

はぁ〜。

せっかく久しぶりに二人きりなんだけどな。

ここは大人の俺が弁えなきゃなんねぇだろが。



さて、捲っている袖をさらにたくしあげて、
右腕の内側がよく見えるように上にして黒崎に見せる。

『なぁ、ガキんとき、こんなことしたことないか?』
『?』

黒崎はいきなり何が始まるのかというような表情をしていた。
キョトンと音がしそうなくらい可愛い。
俺はそんな黒崎から目を離さず、そうして示した二の腕にかぶりついて見せた。

そしたら黒崎は今度は
嫁の実家に別姓で同居しているいかにも草食系そうな眼鏡が
嫁の弟に調子よく扱われたときとかに発する
「ええーっ!」みたいな声を今にも発しそうな顔になった。
つか、あのアニメは欠かさず見て最後にちゃんとジャンケンする程度には好きなんだが、
日曜のあの時間帯てのが憂鬱だ。
明日から黒崎に会えるのは嬉しいが、
また一週間・・・て考えちまって
あのアニメをイメキャラに使ってる銀行で給料引き出すんだが、
週末に行ったとしてもあのほんわかしたアイツら家族のポスター見てると滅入る。

ていうか、あのジャンケン。
今週何出すかって放送直前まで決まってないらしいぜ。
専属スタッフがいてその日に決めるんだとよ。


…で、何だった?

俺は自分の腕にかぶりついたまま時を止めていたらしい。

まぁ40年以上時が止まっているジャンケンな人妻とその一味に比べりゃそれはほんの一瞬なんだが、
端から見れば見事な間抜けっぷりに違いない。
黒崎もさぞや呆れてるんだろうと思って見たら、

黒崎の時も止まっていた。

というか目が離せませんと言わんばかりにガン見していた。
この分だと一瞬固まってた俺のことも気にしちゃいないだろう。

ぢゅーぢゅーやってそろそろだろうと口を離すと、
結構カワユイ形に赤い痣が出来上がった。
というか自分の腕ながらなかなかエロくてにやけてしまう。
こうして赤との対比で見ると意外に俺って色白なのな。
腕の内側のせいかも知れない。
ここは普段日焼けをあまりしないから体のうちでも肌理がかなり整っている部分で、
俺も例外じゃないらしくさっき唇に触れた感触もなかなか柔らかくて悪くなかった。

なんだかにやけが止まらない。
自分で自分の腕吸ってニヤニヤしてるなんざ、もう完全ヤバいヤツ認定じゃねぇか。

しかし有り難いことに黒崎はそうは思ってないようで…というかそう願いたいんだが、
息をヒソめて俺の様子を窺っている。

腕を突き出して『ほれ』と痕を見せるとさらに目を見張る。

『俺がガキんとき、これが面白くてな。
 ダチの顔なんかに付けあったりとかやっててよ。
 格好良く付くといいんだが不細工に付くとしばらく消えるまで恥ずかしいんだ』

ていうか、顔にぢゅーぢゅー吸った痕付けあって
格好良い悪いとかやってる時点で十分お天道様に恥じることなく恥ずかしいのだが、
子どもだったから気がつかない。
宇宙海賊とかの主人公真似て
顔にマジックで縫い目描くのがアウトローでイカした男のファッションだと信じて疑わなかった時分だ。

今思えばドス黒い歴史であるが、思い出してのた打つということはない。
みんなでやっていたせいもあるかも知れねぇが。

友だちは多かったんだ。

あいつらどうしてるんだろう。


…っと、思わずまた別の世界に浸るところだったぜ。
今回のは思い出系だからどっぷり浸かるとなかなか戻って来れねぇ。

早めに正気に戻れて良かったぜ。


十分見せつけてからシャツの腕捲りを戻す。
もういい大人なんだから着衣で隠れる部分でやらないとな。

『お前、やったことあっか?』
と聞くとぶんぶんと首を振った。
それが「あり得ない」と言ってるように見えて
なんだかジェネレーションギャップを感じた。
お前ら、友だちと何して遊んでたんだよ?
というか俺らの遊び方がコアだったのか。

そこんとこ聞きたいがぐっと堪える。
でないと何時まで経っても次のステップに進めない。

『さて、これはガキの遊びだったんだかな』
右手で湯飲みを取る。
ぢゅーぢゅー吸う作業で長い時間腕を高く上げていたせいか、湯飲みの生微温かさが心地よく感じる。

一気に茶を飲み干して唇に残っていたさっきの妙な感触もリセットしてから続けた。

『オトナでもこれやるんだよ』

黒崎はエライもん見せられて動揺しているのか、
はたまたなんとなく察したのか、見開いた目のまま頬が火照っている。
隙だらけだ。
もー!
そのままチューでもしたろか。

しかしこれもぐっと堪える。

茶は飲み干したのに、
それからやたら唾が出てそれも飲み込むもんだから、
ややもすればすぐ時が止まりがちになるこの空間の中で俺の喉仏ばっかりせわしなく動いてる気がする。

『これをだな』
左手で自分の右の二の腕を指しながら続けて本題を言い切った。

『たとえば惚れてる相手に付けるとしたらお前ならどこにつける?というか付けられたい?』

黒崎はびくんとした…ように見えた。

これで察して欲しい。
でないと、俺の引っ込みがつかなくなる。

そんな願い(?)が通じてるのかいないのか、黒崎はポカーンとしたまま。
おそらくその優秀な頭で只今ぐるぐる猛スピードで考えてるんだろうが…

てか、だから隙だらけだってば。

そんな顔してたら俺のブレーキが。

テーブルを挟んで向かいに座っている黒崎。
真ん丸い目をして今大変に思考中。
端で見ていると放心に近い。
隙も隙だらけ。

まじまじ顔を近づける。

そっと手を伸ばして制服の左の襟に手をかける。
少しずらすと、首筋の小さな傷痕が露わになった。
また襟を戻してやる。

『せんせ…俺』
黒崎の泳いでいた視線が俺に焦点を結ぶ。
多分通じてる。

『そゆことなんだな。絆創膏で隠してもまぁわかるやつにはバレちまう。
 たいていみんな同じこと考えるからな。むしろ絆創膏が目立つから隠すには逆効果かもな』

俺が覗きこむとまた視線が泳ぎだす。

だがやがて、

『俺、そんなのつけてないです』

きっぱりと俺を見据える。

恥じることなど何もないと言わんばかりの真っ直ぐな視線は、
昔無邪気に遊んだことも、もはや邪な目でしか見れなくなっている俺を責めているようにも見えた。

だけどな、大人になるってことは、こういうことなんだよ。
無邪気でいて欲しいが、それが仇となるような怪我や火傷はさせたくない。
少し汚れちまうことがあったとしても、
そして俺はすっかりうす汚ねぇ大人だけど、一番根っこの一番綺麗なとこだけは護る。
護ってやりたい。

『知ってるよ。さっき見た。でもよ…』

『疑ってた…んですよね?』
明るい瞳の色が少し翳った。

『まぁ…な。悪かったよ』

『いえ、そもそも俺が無防備で無頓着なのが悪かったんすよね』

「知って」しまっても黒崎の白さは変わらないように見えた。
やはり眩しい。

それはおろして間もない制服のせいだけじゃない気がした。


というか、そもそもと言えば…

『アイツは?』
アイツとはこういうの付けたり付けられたりやってねぇのか?

『いや、見せてないしクラスの他の誰も気がついてないと…
 体育あったけど休憩時間短いしヤミ野サン遅刻厳しいから
 みんなかなり急いで着替えるし。脇目も振らずっていうか』

そこじゃなくて。そうじゃなくて。

いや、アイツにも他のやつにも気づかれなかったのはたしかに喜ばしいけどな。

アイツが気がついたなら今朝の俺みたいな感じで俺のほうが疑われてただろうし、
他のやつに見られてたら変な噂になりかねない。
だからその点は良かったんだが…。

じゃ、アイツは今までやらなかったって事だ。
あれも…これも…やっ…た…であろ…う仲…なん…だ…ろう…が、
ここに今の今までキスマークのなんたるかをガチで知らなかった黒崎が完成してたということは、
アイツもこういうことは知らなかったか、
あえてやらなかったか…。

おそらく…後者だろう。

俺でもそうする。

学校生活をする上で着替えやらなんやらは避けて通れない学生の身分なら、
付けてしばらくは消えない痣なんか付けないにこしたことはない。

アイツはそれを踏まえて自制してた

…と考えたほうが…
ていうかあんな海千山千な風体してキスマークも知りませんとか、キモいわ。
どの面下げておぼこみたいな事ほざきやがる?
だったら俺が教えたる。
ただしこんな黒崎に教えたみたいにソフトじゃないぞ。
覚悟しやがれ。
べったべたに付けてクラスの噂になりやがれ。
でもって黒崎に浮気疑惑で振られるがいい。
平手の一発でも食らってな。
でもって退学だ!
ざまーみろ!

しかし残念ながらそうではなかろう。
アイツはアイツなりに黒崎を護ってたんだろう。

しかし微温い。
大事大事で箱に入れて汚ぇもんからただ遠ざけるだけが護りじゃねぇんだよ。

教えてなおかつ、これはヤバいと教え導くのが生徒指導。

どうだ。
俺のレクチャーは見事だったろが。

ていうか見事すぎてあっさり終わっちまったじゃねぇかコラァ!


いろいろ「引き際」とか考えてた割に肩透かしを食らって
なんだか手持ちぶたさんなことこの上ない。

違った、手持ち無沙汰だ。

ぶたと言えばヤミ野はあの弁当全部今日中に食うんだろうか?
あのマンハッタンな弁当箱群を思い出したが、今度はウエッとはならなかった。
ちょっと腹が空いてるな俺。

そうだ。
これから軽く飯食いに行こうか黒崎。

あわよくばそこから課外授業になだれ込んだりなんかしちゃってよ。
まぁ…これは七夕的な話だが。

違った、棚ボタだ。

年に一度しかなだれ込み出来ないなんか嫌だ。
しかも天候に左右される。
ていうかあいつら何?
デートなんか雨でも屋内で出来るだろが。
なに外にこだわってんの?
見せたがり?
いちゃいちゃするの全国の皆さんに見て欲しいの?


俺が急に黙っちまったから
これまた手持ちブサタになってしょんぼりうなだれている黒崎に声を掛ける。

『ご苦労だったな。話は済んだから良かったら今から飯…』
『せんせ…』

黒崎が顔を上げる。
泣きそうな顔になっているのにそこで気がついた。

遠くで生徒の歓声が聞こえたような気がした。
歓声というよりも嬌声に近く、
時折何かがぶつかるような音がするから球技系のクラブが試合でもしてるんだろう。

だが、それよりも今の黒崎の声のほうが遠く小さく聞こえる。

聞こえないほどの小さな声だが、全神経でもってその声を拾う。

その声は確かにこういったように聞こえたが、
あんまりにもか細い声だったから俺の聞き間違いかもしれない。

『つけて…くれますか?』

 その言葉の意味をすっかり理解しきる前に、夏休みが近いんだなとふと思った。

この場所のせいか。

遠くで聞こえる歓声が更に遠くやがて聞こえなくなる。





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