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しかし、午後から黒崎の姿を拝めることはなかった。
教科担当の授業は午前中に終わっていたし、
ホームルームは朝のうちに済ますから6時限目が終わると生徒は掃除当番を残してクラブに散るか帰宅する。
ゆえに担任でありながら朝のホームルームでしか自分のクラスの生徒と会わないという日もある。
だが、午前中の違和感もとりあえず(自分の中で)解決していたし、
ウル川がいうようないじめも
赤い番犬がいつもそばにいるような黒崎に限ってそれはないだろうしで気楽に考えていたから、
確かに声をかける口実ができて嬉しかったもののまぁいいかという気分にはなっていた。
ほんとは訊きたかったんだけどな。
こんなのはその場のノリで訊くもんだろが。
だから夜に黒崎からメールが来ても、そのことには触れずにいた。
てか、わざわざメールで訊くのも気持ち悪くねぇか?
綺麗だったんだけどなぁ。
教室の中で黒崎の周りだけぱあっと明るい様子は本当に眩しかった。
だけど黙っていよう。
てか改めて切り出すのもなんか照れくさいしな。
黙って眩しく見てるよ。
キラキラでピカピカでふわふわなお前を。
…という訳には
いかなくなった。
翌朝、キラキラでピカピカでふわふわな黒崎を
今度こそ変な妄想に邪魔されずに視姦しまくってやろうと
教壇から黒崎をこっそり舐めまわすように見ていた俺は、
離れた場所からにも関わらずその首筋から覗くそれに、
おそらく教室にいる誰よりも早く気が付いたに違いない。
当の黒崎は離れているせいか、
あるいはそれがすっかり隠れていると信じているのか、
いつもと変わらぬ かあいらしい顔で俺のことを見てやがる。
なんだよそれ?と訊きたい気持ちをぐっと教師の仮面の中に押し込み、
しかし押し込んでもそれは次に誰にだよ?という気持ちに移行したから
わかりきっているその「誰」にそのままチラッと目をやる。
視線を振られた赤い犬。
こいつもこいつでシレッとしたもんで、
何スか?みたいな目つきで睨み返してくるもんだからもう憎たらしいったらありゃしねぇ。
苦々しい気分で黒崎に視線を戻す。
やっぱり見える。
黒崎が座っていて俺が一段高い場所から見てるせいなのかもしれない。
左耳の下。
襟の少し奥。
絆創膏で隠してもバレバレだろが。
昨日は…なかったよな。あまり見てないが。
てことは昨日…か。
昨日放課後だな。
神々しいまでに光輝くその姿に惹かれたのは俺だけじゃなかったというわけか。
考えれば当たり前か。
目つきの鋭い犬が一匹黒崎のそばにはいつも居る。
絆創膏の下はそいつの歯型か。
白い首筋におろして間もない白いシャツ。
その間から覗く絆創膏。
隠すさまががかえってこれ見よがしに誇らしげに見えてそれ以上その首筋を見続けることは出来なかった。
黒崎とあいつのいる生徒の席。
そして俺は教壇。
あいつと黒崎の席は離れてはいるが、席と教壇の間にもっと幅広く深い溝があるような気がした。
赤い髪が、だーかーら俺のもんだって言ったろ?てな勝ち誇ったような視線を、
席に座っているにも関わらずやや上からの角度で刺して来たような気がした。
黒崎がそんな訳なんですごめんなさいと申し訳なさそうな視線を、
こちらはやや下から角度で寄越している気がした。
気がしただけで、当人たちは俺が気が付いてるなんて思っちゃいないんだろうが、
あいつらふたりの秘め事を目一杯見せつけられた、
あるいは覗き見たような所在なさと後ろめたさで、
しまいにゃまともにふたりの顔すら見れなくなった。
ヨロヨロと朝のホームルームを終えてそそくさと教室から退散する。
あの場所に居たくなかった。
しかし、そういう時に限ってなかなか解放されない。
『せんせェ』と呼び止める声に振り返ると赤い犬野郎が薄い紙きれをヒラヒラさせながら近づいてきた。
『この間…つーかだいぶ前の歯科検診のんで歯医者行ってきたんで』
『歯医者ぁ?虫歯ほじられてピーピー泣いてたんじゃねぇのか?あ?』
気持ちはどっぷり凹んでても脊椎反射で憎まれ口は出る。
『残念っしたー。ちゃんと検査したらなんともなかったス。あの検査した歯医者とんだ藪スね』
見れば所見異常ナシという走り書きとともに歯科医の判が押されている。
牙が虫歯じゃ番犬もすたるだろう。
歯…歯型といや黒崎の首筋の絆創膏がまた思い出されて陰鬱な気分になる。
赤犬を見れば同じ場所に黒い墨が見え隠れしていた。
また見せつけられてる気分になって用紙に目を落としてふと判の横にボールペンで書かれた日付が目についた。
昨日の日付じゃねぇか。
『お前昨日行ったのか』
『うス。忙しくてなかなか行けなくてよ。遅くなって悪ぃ』
ニヤリと笑いながら照れ臭そうにボリボリ頭を掻いてやがる。
でかいナリしてうっかりちょっぴりかわいいじゃねぇか。
てかお前昨日は黒崎と会ってたんじゃねぇのか?
まぁ歯医者に限らず病院なんて待ち時間だけがやたらで運が良けりゃ30分くらいで済むだろうから
歯医者に行ったからと言って別に会えないこともないだろうが。
『ごくろーさん。預かるぜ』
『ちり紙にすんなよ』
『するかボケ』
なんだ?
なんだこいつの態度は?
少なくとも、こいつの言葉や態度からはいつもながらの不敬はビシバシだが
白々しさや優越感みたいなもんは微塵も感じられない。
というか、バレてないと思ってんのか。
『んなもんマエバリにもなりゃしねぇ。いろいろ隠すならバンソーコーのほうが役にたつぜ』
かまをかけたつもりだか、あまりうまくなかったかも知れねぇ。
だが黒崎はかかった。
俺とこいつが話し込んでる図なんてのは黒崎にしてみりゃハラハラドキドキだろう。
どうやらかなり聞き耳を立てて俺たちを見入っていたようだ。
その証拠に「バンソーコー」と聞いてから恐る恐る右手が左の首筋に置かれた。
しかし赤毛は は? みたいな面して『まえば…?』とか言っている。
マエバリに食いついてバンソーコーはスルーだ。
男ならそうだろうがフリかも知れねぇ。
フリならアカデミー賞並みに上手い。
だがこいつにフリなんざ出来るだろうか。
いや、こいつはそもそもの犯人だが黒崎が隠蔽のためにそこに絆創膏を貼っているという事実を知らない可能性が高い。
だからフツーに男として興味深いマエバリに食いついただけだろう。
やっぱり男ならマエバリだな。
わかってやがる。
こいつとは違う立場で知り合いたかったよ。
うおっと、うっかりしみじみ男の友情について考えちまうところだったぜ。
ええと…何だった?
ああマエバリだ。
じゃないバンソーコーだ。
バンソーコーに食いつかなかったんだこいつは。
餌が遠まわしすぎたんだな。
ならばと続いて「首筋の」とか言ってさらに仕掛けようかと思ったが、
そこまで突っ込んだ話をして嫉妬バレバレになってもムカつくな・・・
といったん飲み込んだらそこで授業の予鈴が鳴ったので切り上げることにした。
渡された用紙を出席簿に挟む。
マエバリは止めてくれよと言いながら赤毛はくるりと踵を返して席に戻ったが、
黒崎はそんな赤毛を心配そうに見ているのかと思いきや。
なぜか俺だけを見ていたようなそんな気がした。
黒崎は今日もキラキラのピカピカのふわふわだった。
そんな黒崎と今日も目を合わせられない俺は、
そんな朝の黒崎の視線が気になりながらもヨロヨロのイライラのウダウダだった。
今日は生徒指導室にウル川すら来ない。
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