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心ここにあらずで、
ただボサッと昼飯のカツ丼を口に運んでいた時にひらめいたその答えは
まさに『降ってわいた』というのがふさわしい。
朝から感じていた『違和感』の原因にようやく今思い至った。
今日はいつにも増してお前が眩しい、
ついにお前は人ならぬ神の領域に足を踏み入れてしまったのかとさえ思った。
それほどまでに黒崎はくすんだ教室の中で一人神々しく光を纏って一人清らかな光を放っていた。
そうか、シャツがおろしたてだったのかよ。
新入学の時期なら皆の制服も真新しい。
シャツなんか中身はともかくピッカピカの輝く白だ。
しかしそれも学校生活の埃に染まってしまう。
衣替えを経ても夏休み前にはすっかり輝きを失い心なしかくすむ。
そんなもんだ。
シャツも気持ちも。
そんな中で、黒崎のシャツが真新しくなっていた。
前のが小さくなったのか(大人になってんだな♪)、
または洗濯で落としきれないほど汚れがついたのか(なんだと?ナニをしてどんな汚れが?)
はたまた破れ…た(どんな状況でだ!?!!!)
かは知らねえ(知りたいぞコルァァァァ!!)が、
とにかく朝から黒崎が眩しくて眩しくて気になって気になって仕方がなかったから、
原因がとりあえずわかって安心した。
いやはや安心したぜ。
もう3時限目がヤバかった。
光輝く黒崎がいきなりますます光りだして
『先生お世話になりました。月からお迎えが来たようです』
てふわふわ浮き出して教室の外に出て行くもんだから
俺は教師の仮面をかなぐり捨て、
教室にいるやつらの面前もお構いなく黒崎に行くな行くなと縋って永遠の愛を叫ぶ…
てな図に頭ン中占領されて、
窓の外(教室三階なんだが)に月の世界から来た牛車がもうスタンバってるんじゃないかと
光る黒崎と窓の外ばっかり気になって、
そして黒崎に誓う永遠の愛の決めぜりふを考えていたら授業もおちおち身が入らなくなっていたくらいだ。
だから原因がわかって安心した。
このまま妄想に取り憑かれていたら、
昼間の牛車をやり過ごせたとしても、
今宵月が出るまでになんとか黒崎を月の光の届かない場所に監禁せにゃならんとか、
ただ監禁は色気と申し訳がないからあれこれああだこうだ、
ていうか監禁といやぁクロロフィルだとか目隠しとか猿轡だとか…
犯罪じゃねぇか。
良かったぜ。
うっかり犯罪者になるところだったぜ。
あ。クロロフィルじゃなくてクロロホルムな。
拉致るのにいきなり後ろから美顔してどうすんだ。
いやそれはそれで犯罪かも知れねぇ。
いやいやそんなことしなくったってすべすべお肌でじゅーぶん綺麗だから黒崎。
シャツな。シャツだったのかよ。
しかし、この時期にシャツの新調たぁ余計な勘ぐりをしたくなる。
小さくなっただけならいいんだが…他の…前のが着れなくなった原因があるのなら…。
空の丼を前に午前中の黒崎の様子を思い浮かべてみる。
なにか変わった様子はなかったか?
だめだ。
黒崎はキラキラしてピカピカしてふわふわしてたし、
そんな黒崎を前に俺はドキドキしてソワソワしてモヤモヤしてまともに顔も見れてなかった。
不意に目の前に茶が差し出された。
あれっ?なんでここに?と疑問が湧く。
我に返って差し出す手をたどって見れば、どういう風の吹き回しかウル川だった。
なぜにウル川が?
しかし出された湯のみを反射的に受け取ると
『勘違いするなよ。ただ俺は自分に淹れただけだがうっかり湯を入れすぎただけなんだからな!
茶はちゃんと最後の一滴まで絞り淹れないと二煎目が不味いから絞り分をお前に恵んでるだけだ』
とまくしたてる。
勘違いしてねぇよ。
お前が勘違いしてねぇか?ここをどこだと思ってんだ?
しばし沈黙のあと、しかしここは素直に『貰うぜ』というと多分表情が柔らかくなった。
というのも、普段なら言い捨て御免のこいつが
『どうした。珍しく考え事か』と続けてきたからだ。
朝からわけのわからない妄想に一人で浸ってきたせいもあってガス抜きしたかった。
仏頂面でもなんでも一人空のカツ丼の丼に話しかけるよりはマシだろう。
『あのよ、生徒が今の時期に制服新調するってのはなんか理由とかあるもんか?』
『小さくなっただけというのが一般論だろう』
ぶっきらぼうではあるが、やはりカツ丼の丼よりは知能がある答えが返ってきた。
会話が成立している。
カツ丼の丼ではこうはいくまい。
それにカツ丼の丼は話は聞いてくれても自ら言葉は発しない。
しかも中身のカツ丼がもうなくなっている以上、カツ丼の丼には最早余力は残っていないだろう。
カツ丼は腹は満たしてくれるが疑問の穴までは満たしてくれない。
その点、ウル川はまだカツ丼の丼よりは使える。
なんといっても自分で茶を淹れられる。
しかしなんだこの茶は?
濃すぎるだろう?
しかもわしゃわしゃ泡立っている。
もしかして急須じゃなくてシェーカーで淹れたのか?と穿つ。
茶に目線を落として固まる俺に
『抹茶じゃないぞ』と言うから余計に茶葉と湯のカクテル説に信憑性がわいてきた。
ここにシェーカーなんかあるわけないからきっと、ウル川の自前だ。
『それが一般論…普通だとは思うけどな』
茶葉カクテルに口をつける。
これが…意外に美味い。
どうやってんだこれ?
茶葉はどうやって漉してんだ?
シェーカーから湯のみに注ぐときに茶漉し使ってんのか?
きっとそうだ。
でも面倒くさそうだ。
だから日本人は縷々と受け継がれる長い茶の歴史の中で急須を選びシェーカー(&茶漉し)を廃したに違いない。
しかし手間暇を惜しまず
シェーカー&茶漉しで淹れたと思われる見た目以上に美味い茶を一気に飲み干すと
ウル川の表情が多分一段と柔らかくなったような気がした。
だってそれから喋る喋る。
『今までの制服が物理的に着られなくなるから制服を新調する…これが一般論なのだろうが、
本来は経済的理由と物理的理由がある。
経済的理由はたまたま親に小金が入って一丁制服でも新調してやるかという
ささやかな家庭の幸せの可能性がほとんどだから家族でない教師があれこれ言うものではない。
物理的理由にしてもサイズがあわなくなったのであれば
生徒の身体的成長として喜ばしく思いこそすれ何ら憂慮すべきことではない。
ヤミ野のように育ちすぎというのも考えものではあるがな。
しかし他の物理的理由、
何らかの落としきれない汚染、
修復困難及び修復不可能な破損、
あるいはまるまるの紛失は
生徒指導の立場から考えていじめの可能性もないではないから、
お前が気にするのもあながち外れではないな』
そうか、無くしたってのもあるな…。
でもどこで?
赤い髪のあのヤローの自宅のベッドの下にコソーリ忍ばされてる黒崎の制服を想像してみた。
枕カバーにしたらきっと黒崎の香りにつつまれてやんごとなき哉であろう。
おい赤パイン!それ寄越せよ!
盗ったの黙っててやるから。
そんな怒るなや!
じゃ、半分こだ!
お前右半分俺左半分な。
幸せは半分こだ!
『で、あるからして』
また違う妄想に突っ走り始めた俺にはお構いなしにウル川も突っ走り始めた。
空になった俺の湯のみを手に遠ざかりながら、俺に聞こえるように声のトーンを上げていく。
湯沸かしポットの前に行き、顔はこちらに向けたまま、
おもむろにそばにあった急須の蓋をとりポットからジャージャー湯を注ぎ始めた。
なんだと!
シェーカー(&茶漉し)じゃなかったのか!
ただ淹れ方が普段のウル川らしくなく荒い。
ああ、おまけに急須を左右に揺らすんじゃなくてジャカジャカせわしなく振っている。
ポップコーンと勘違いしてねぇか?
確かに茶葉になんかポップコーンみたいなん入ってるけどあれ玄米だろ?
それで茶葉が砕けて濃くなり泡立つという訳か。
『その生徒に他に変わったところはないか要観察が望ましいが、
いっそさりげなく聞いてみるのもいいだろう。
ただしその場合、制服の新調についてのみ話題にすべきではあるが、
その返答をする生徒の様子は細心の注意でもって汲み取り窺わねばならない。
それが生徒指導である』
そうだよな。訊けばいいんだ。
ていうか、話しかけるきっかけにはうってつけじゃねぇか。
学校じゃお互いめったに言葉は交わさねえからたまにはいいかも知れねぇ。
トンと置かれた二煎目の茶も見事な泡立ちだった。
そしてさっきより熱かった。
今度はズズズとすすっていたが、
ウル川も多分ご機嫌なことだし最初の疑問もここで思い切ってぶつけてみようと思った。
『なぁウル川』
『なんだ?』
『お前、なんでここ(生徒指導室)に居るんだ?』
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