■03
まさかというかもはや連絡を取ってくるとは思わなかったから何を話せばいいのか。 というか話すことなんざねぇよ。 いや、あるんだが。 「悪い、今取り込み中」 言えばお前が困るだろう? 「すみません。でも」 だからもういいよ。 「切るぞ」 それにしてももうちょい俺も愛想よく出来ねぇかな。凹んでるのバレバレじゃねぇか。 「あの。先生今どこにいるんですか?」 「あ?別に」 どうでもいいくせに。 「部屋じゃないすよね」 わかるのか。わかるかも知れねェな。 「まぁ…な。それが」 どうしたと続けたかったが続けなくて良かった。 「あの部屋もう表札ないじゃないですか」 かすれ声が鈍器のように頭をぐらつかせる。 あの部屋に来てんのか? なんで? 終わってんじゃねぇのか? いや、終わったと思ってたのは 「今日出たからな」 俺だけか? 「なんでですか?」 「大した理由ねぇよ。俺引越し魔って前言ったっけ?新学期だしな。気分転換」 「…」 でもよ。もう 「用はそんだけか?切るぜ」 いいんだ。 無言の電話を切る。 胸のあたりがキリキリしたがきっとすぐに止む。 だろう。そのために引越ししたんじゃねぇか。 はぁっと大きく息が出た。 なんだ終わってなかったんだ。 だけど、切っちまった。俺から。 まぁ黒崎頑張りな。 新しい担任と優しい(かどうかはよく知らん)彼氏のいるクラスで。 高校一年の担任なんか俺の歳になるともうすっかり忘れてるよ。 なんもしてやれなかったのが心残りか。 なにかしてせめて記憶に残ってやろうといういじましい魂胆もなきにしもあらずだが。 ていうか、そうだ最後にあれ送ってやろうか。 あの三角の月の写真。 俺が写真送るのなんざ最初で最後だな。 まぁちょっと見せびらかしたい気持ちもある。 それでどうだと威張りたいんだ。 色恋は勝ち負けじゃないが 俺は凹んでねぇその証拠にほれ、こんなイイもの見てるぞという主張もしてみたかった。 写真を添付した送信メールを作る。 本文なしにしようかと思ったがふっと「タバコ止めることにする」と打った。 三角の月が見れた以上タバコを続けてる意味がない。 いや喫煙の始まりは他のきっかけだったが タバコを続けていた言い訳ももうこの写真の中に閉じ込めてしまった。 送信する。 なんかキレイさっぱりそのメールに乗ってどっか行っちゃった気がした。 習慣でまたタバコをくわえたが苦笑してソフトケースに戻した。 送信済みのメールを広げてみる。 なんかラストメールにしちゃいい出来だと思った。 涙っぽくないのが一番評価できる点だ。 添付した画像も見る。 やっぱりどう見たって三角だ。 錯覚じゃねぇ。 黒崎びっくりしてんじゃねぇか?これで涙もすっこんでくれりゃいいけどな。 ていうかこんな珍しい画像、どっかの新聞とかで載せてくんねーかな。 クロス屋に感謝だ。 おかげでいいものが撮れたぜ。 時計を見たら7時を回っていた。 少し寒くなってきた。 さてどうしようか。 さっきの煙突が見える。 あれは銭湯かなんかだろう。風呂入りてぇな。 昨日もうあんまり部屋散らかしたくないから風呂もすっとばしている。 あの銭湯ってアレかな。スーパー銭湯。 だとしたらあそこで時間潰すのも悪くないな。 考えたわりには尻に根が生えている。 ベンチに座り込んだまま動けない。 というか動く気がしない。 なにもしたくない。 ああ、やっぱり俺は堪えてるんだ。 あいつを手放したことが。 俺がもう少し大人だったらもっと割り切れただろう。 なんだガキは俺じゃないか。 なりばかりデカいガキはベンチに座ったまま身体を前屈みに折り曲げる。 視界に土の地面が近くなった。 桜の花びらも見える。 見ているとにじみ出してきた。 ふいにジャリジャリという音が前の方からして誰かが近づいてくる気配がした。 ベンチで丸まっている俺を具合の悪いやつだとか思って心配してくれるお節介な小市民かもしれない。 できれば察してやりすごしてくれねーか? 今は誰とも話したくないんだ。 足音が止まる。どうも俺の前に立っているようだ。 こちらの様子を伺っている。 見せ物じゃねぇぞ。 失恋したなりばかりデカいガキがそんなに珍しいか。 足音の主は動かない。 俺も動かない。 てかコイツのせいで動けない。 動かない俺を動くまで待つつもりなのか相手も微動だにしない。 なんだか妙な根くらべになってきた。 そして根負けしたのは俺だった。 気の長いお人好しは黒崎だけじゃないんだな。 俺はだめだ。 やっぱり気の長いお人好しを演じるにはまだまだガキで。 ゆっくり目線だけまずは前に向ける。 足音の主の靴が見えた。 なんかどっかで見たことあるような靴だな。 それからジーンズ。 これもなんか見たこと…まぁジーンズはどれも似たりよったりか。 というかコイツ男だな。 かなり若い。 俺好みならナンパでもしたろうか。 こんな気の長いお人好しならOKしてくれるかも知れねぇって実は俺の学校の生徒だったりして。 そりゃやばいな。もう生徒に手は出さねーよ。 目線をさらに上げる。フリースのジャンパー。 あれ?これどっかで見たな。 袖がオレンジの。 髪色によくあってたんだ。 誰の? そしてそのフリースによく合う髪色の俺好みの小さな顔と目があった。 「…なんでここが…わかった?」 「…写メ…。おばけ煙突の見える桜のある公園はここだけだから」 「おばけ煙突ってのか?アレ」 「地元出身なら誰でも知ってます」 「そうか。俺は実家ここじゃねぇからな」 知らなかったよと続けようとしたが何も言えなくなった。 黒崎は目にいっぱい涙を浮かべていた。 またお前は泣いてんのか。 だから好きなやつが泣くのは見たくねぇよ。 「何泣いてんだよ」 でも綺麗だな。お前の涙は。 「…らって…先生が…」 その泣きっ面写真に撮ってやろうか。 宝物にするぜ。三角の月の写真以上に。 「すまん」 だってその涙はきっと 「居らく…らって…」 「悪かった」 俺のために流してくれてんだろ? * * * 「この前はありがとうございました」 自販機で買った缶コーヒーをベンチで並んで飲んでいたら落ち着きを取り戻した黒崎がポツリと言った。 「あん?」 「途中で止めてくれたんですよね」 下を向いて黒崎は言った。 滑舌がいいので下を向いて囁くように話してもよく聞こえる。 「あ〜。やっぱりああいうのはお互いがよくねぇとなぁ」 結局俺はタバコを吸っている。 黒崎に突っ込まれる前に「前言撤回」と口を尖らせてやった。 前言撤回前言撤回。 いろいろいろいろとな。 優柔不断とも言うかも知れねェが。 黒崎はしばらく俺のタバコの煙を目で追っていたがまた下を向いてから唐突に 「先生。俺、スッゲエロいんだと思います」と告白しはじめた。 「自分で言うか」 急な話題にドキドキした。 しかし黒崎の下を向いた横顔は大真面目でしかも何か堪えているように見えた。 話題で誘ってるとかそういう雰囲気じゃないような気がしたから俺も真面目に考えてみることにした。 まぁ考えなくとも… ぬーん。 確かに。 コイツは。 エロい。 「多分、多分なんですけど例えば痴漢されたらその場でイクかもとか」 「されたのか?」 誰だ?殺す。 「例えばって言ったじゃないですか」 「あ〜。…お前感度がいいんだろうな。思うぜ。やってて」 つまりその気じゃなくても反応するってことか。 だからあのとき『そんなつもりで』来たわけじゃないのによがった… とまぁそう言いたいんだな。 わかった。 了解だ。 あれは全面的に俺が悪い。 「それから…先生」 黒崎はきまりが悪そうな顔をして急に違う話を振ってきた。 「俺の成績、どう思います?」 いきなり楽しい保健体育から厳めしい進路指導の話になっちまった。 「あ?お前の?」 「はい。一年の時全般に見て」 思い出す。たしか悪くはない…というか良い。 中でも確か現国は全国何位とかでかなりいい。 現国といやぁ朽木だ。新学期からのことを一瞬考えて若干心が折れた。 「悪くないぞ」 「ちゃんとわかって言ってますか? 先生は生徒が多いからいちいち覚えてないかもしれないけど 俺は自分の成績だから自分でそれなりに推移はわかってるつもりなんですが」 「なら聞くなよ」 「まぁ…そうなんですけど…俺、成績落ちてるんです」 「そうだったか?期末の総合順位23位だろうが」 「なんだちゃんと覚えててくれてんじゃないすか。そう23位でした」 「悪くねぇじゃん」 まことに教師らしくない言い方してるな俺。 「二学期は16位です」 一点違えば順位は5つばかり違うはずだ。 上位のやつらはそういうしのぎを削るような案配でやっている。 「まぁ確かに落ちてるけどよ。他のやつが頑張ったてのもあんだろ?」 「いや…落ちてます。点数的に」 「わかってんなら次に頑張ればいいだろが」 「…先生が言わないで下さい」 「は?」 「…だから…先生のその顔とその声でそんなこと言わないで下さいよ」 黒崎は顔を真っ赤にして下を向いてしまった。 「俺の顔?」 なんなんだ?俺の顔って。 「だから先生の顔みてたら思い出したら勉強に集中できないんです!」 「はあっ?」 「…変なことばっか考えて…」 言いながら黒崎は語尾が段々弱々しくなってきてついに口篭ってしまった。 俺はポカンとしたまま黒崎の言ったことを大急ぎで要約する。 つまりだ。俺が教壇に立ってる間席に座っているコイツは涼しい顔してるが頭の中は… 俺とイチャコラのエロ妄想逞しきこと甚だしいので勉強に集中できない…という訳か。 「だからこれじゃダメだなって。 二年は先生の担任じゃないって話聞いてそれで少しは勉強に集中できるかなとか。 寂しいけどちょっとほっとして…」 それで。 笑ったように見えたのか。 なんなんだよ。 全部俺の早合点じゃねぇか…。 ちゃんと訳を聞いてれば 「先生がなんで笑ってんだとか怒るから理由言ったんだけど先生すっげ機嫌悪そうにしてて」 いやその前に頭に血が上っちまってたんだ。 そういやお前なんか言ってたな。 「その上俺恋次と前の日会ってたから」 それはまぁ「公認」だからな。 仕方ない。 「黙ってたらわからないかなって。すみません。 なんか先生のプライドとかそんなの全然考えてなくて」 「なんだやっぱりその気で来てたのか」 「違いますって。だから『先生』だから」 「どういう意味だよ」 「先生の顔みた瞬間その気になっちゃったんです」 俺の顔は催淫剤か。 だったら… 下を向いてる黒崎の顔を覗きこむ。 「今もか?」 黒崎の目がくるくると泳ぐ。 そしてちらっと目があったあと黒崎はしっかり目を閉じて。 「今もです」 膝の上で握りしめられている黒崎の手を取る。 立ち上がらせて手を引いたまま歩き出す。 俺財布ん中いくら入ってたっけ?まぁ…大丈夫だろう。 「どこ行くんですか?」 「いいとこ。俺今晩ホームレスだから」 「?」 「まぁないとは思うけどな。フロントで歳聞かれたらお前ハタチだとか言ってごまかしてくれや」 お前のそのエロい妄想、現実にしてやるよ。 忠実に。 国道に向かって歩きだす。 国道沿いに歩いてりゃなんかどっかあるだろ。 握った黒崎の手は見た目以上に華奢な感じがした。 こういう握り方すんのははじめてだな。 キュッと力を入れたらキュッと握り返してきた。 また俺が握る。 黒崎も握り返す。 キュッ。キュッ。キュッ。キュッ。 ポンプかなんかみたいに握りあいっこをしながら夜の道を歩く。 「そういやあの写真スゲーだろ?」 「え?」 「三角の月。見ただろ」 「あっあれ…」 「スゲーからどっか投稿してやろうか」 「…」 「なんだよ?」 「ネガのないああいう写真てすぐ偽造だとか言われるかも」 「あ?そうなのか?」 「他に送ってたりとかしてないですか?」 「してねぇよ」 「じゃあ」 「?」 「二人の秘密に」 「そうすっか?」 「そうしましょう」 振り向いて見た黒崎は少し苦笑いをしていた。 緊張してんのか。 俺も緊張してるけどな。 手を繋いで歩く影が行く先に伸びている。ふりあおげばさっき地平線近くで三角だったあの月が頭の上近くだ。 夜とはいえ街はひとの欲望(ゆめ)が明るいからこの影は月のせいじゃないだろうが なんだか月に背中を押されてる気がした。 |