■02


殆ど眠れなかったが朝になってすぐ不動産屋に行き
学校から今までとは少し遠くなるがマンションの一室を契約した。
不動産屋の親父はすでに引越し魔の俺とは馴染みで
ここに頼めば本当に簡単にまるで携帯の機種変くらいの意気込みだけで部屋が変えられる。
それが俺の引越し魔に拍車をかけたかも知れねェ。
特に俺の場合間取り立地云々関係なく
家賃と敷金の金額だけでぱぱっと決めてしまうので余計だ。
だめならまた引越せばいいんだ。

しかしすぐにでも入居できるのかと思いきや
内装クロスの張り替えの業者の予定が遅れて入居は一週間後だという。
俺的には月末もあったからそれに合わせて住み替えたかったが仕方がない。
今の大家に話すと4月の家賃は月極でなく日割で払えばいいことになった。ありがてぇ。

引越しの準備もべつにどってことない。
当日やれば間に合う。
それくらい俺の部屋にはモノがない。
そうして引越しの算段は一日で済んでしまった。

早まったかなと一瞬思ったが何をだ?と無理に思うことにした。

しかしそれからがいけねぇ。

毎晩黒崎の夢を見た。
ヤバいくらいにヤバい黒崎でヤバいとこギリギリで目が醒める。
ガッと目をあけて黒崎を探るが当然居なくてガッカリする。
この繰り返しだ。 

後悔してるかって?
してるよ。
思いっきりな。
だからって今更どうなるんだ?

で。今に至るわけだ。

相変わらず携帯は学校の職員室からのコールをざわめかせるが取ってられるか。
なんの用かって用があるに違いないからかけてくるんだろうが
今思考が多分中学生なみになってて
中学の時の俺ときたらそのロイの本名すら覚えきれないくらいにアホだった。
その俺が今教職にあると言えばあの時の担任はきっとあまりの衝撃に逝っちまうだろう。

で今現在そのアホっぷりがぶり返してきて
きっと電話に出ても多分その「用」を完遂できないはずで
だから時間の無駄だ。

だから出ないを決めこんだ。
電話ははじめの3日くらいは朝昼晩とかかってきたがもう一週間になった今じゃウンともスンともいわねぇ。
そう。
言わねーんだ。

メールを告げる短いコールも。


どうしてんだ?
怒ってんのかせいせいしてやがるのか。
どだい不自然なことは長続きしない。
夏からこっち持ったほうだろう。

新学期からは晴れて離れ離れだ。

お前が居たこの部屋も引き払う。
だからなかったことにしようかと思う。

どうせアイツの中じゃとっくにケリがついてるんだ。

だからあの時笑ったんだろうしもはやメールもこない。

あとは…

俺の中のこの気持ちだけだろう。
引越せばまた気分も切り替わるだろうと思う…ていうか、願う。

っかしクロス業者腹立つわ〜。
テメェの怠慢で俺が心機一転出来ねぇじゃねぇか。
慰謝料取るぞボケ。
俺が中学生レベルの知能から脱却できないせいで社会が被る損害はハンパねぇぞ。
わかってんのかクロス業者。

とか言ってると物事はいい方向には向かわねぇ。

久々に携帯が鳴るのではじめ学校からかと思ったが違う発信者番号だ。
出てみれば不動産屋の親父だった。
なんでもその怠慢極まりないクロス業者が
これ以上ないくらいにキング・オブ・怠慢なやつらで
引越しは明日だというのに今日着工だときた。
まぁクロスだからワンルームで入居前のなにもない部屋の場合
そのワンルームが66畳とかでない限り半日あれば普通にやってりゃ仕事は終わる。
ただ「糊」が乾くのに窓を開け放して丸一日はかかる。
つまり明日俺はこの部屋を引き払ったあと寝る場所もないと言うことになる。

荷物は引越し業者に頼めば一晩くらい預かってはくれるだろうが俺は預かっちゃくれないだろう。
つかこっちが断るわ!
どこぞの倉庫で荷物の間に転がされている俺が浮かぶ。
ああこりゃだめだ。
死んでる。
息をしていない。
誰だ殺しやがったのは?
クロス業者か?
仕事は怠慢だわその口封じに人殺すわとんでもねぇ会社だ。
いまだ糊に飯粒使ってんぢゃねぇか?
それにしてもかわいそうな俺よ。
生徒に二股かけられた挙句に捨てられて
心機一転に引越ししたらヤバい業者に関わらされてヅドンだ。
腹に風穴開いちゃってるよ。
儚い人生だったなぁー。俺。

ていうか死んでねぇよ。

はぁー。

似たようなもんかも知れねーがな。


とりあえず入居できない夜のどこぞのビジネスホテルの宿泊代と
引越し業者に荷物を預ける手間賃はクロス業者がもつことで話はついた。
領収書がいるらしい。

まぁどっちみち明日はこの部屋ともバイバイだ。

黒崎が笑って泣いて、
そして身体を開いて哭いたこことも。

あ〜。未練たらしいな。



翌朝に引越し業者が来た。
ミニ引越しで頼んであったが一人で来たスタッフはあまりの俺の荷物のなさに驚いていた。
いつものことだ。
小一時間で部屋はキレイさっぱりになり今晩は荷物を預けるので業者はそうそうに立ち去り
俺だけが伽藍堂の部屋にポツンといた。

広い。

部屋を狭くするほど荷物はなかったが
ベッドとテーブルとテレビがないだけでバカみたいに広く感じる。

カーテンもない窓からは春らしい日差しが差し込んで余計に部屋が広く感じる。
明るいな。

さて。俺も行こうか。
ちっとばかし思い出があるから寂しいかなとか思ったが
家具がなくなれば部屋は見知らぬ空間になりさがり、
俺はさしてなんの感慨もなく
部屋のドアを閉めてネームプレートを外し、それと鍵を管理人に返しに行った。

慣れたもんだ。


さて。これからどうしよう。
一晩だ。
今昼すぎだから
いっそ今から伊豆とか熱海に行ってねぇちゃんたちとどんちゃん騒ぎでもして
領収書は全部クロス業者に送りつけてやろうかとか考えたが正直だるい。

とりあえず何も食ってないからファミレスでたらこスパゲティとドリンクバーを頼んで
常識の許す範囲で粘って昼寝もついでにしてやったがタバコが切れたのを頃合いに出てきた。

で。今5時だ。

漫画喫茶でも行こうかなとか考えたがドリンクバーで腹がジャブジャブだ。
腹がジャブジャブになるくらいドリンクバー三昧したから店は大迷惑だっただろう。
なにを何杯飲んだか覚えてねぇ。

外に居て寒い時期も終わりだ。
そろそろジャリも晩飯に帰ってひと気のない公園のベンチに腰かけてタバコを吸っていた。

見上げれば桜だ。
満開ではないが綺麗に咲いている。
散りはじめもあって風流に縁のねぇ俺でも見とれる。

ぼうっとこれを見ながら一晩も悪くないなと思っていたらおあつらえむきに月まで出ていた。

あれは銭湯か。
煙突にかかる月はまるで芝居の書き割りのようだ。

だれの本だかタバコの煙で輪を作って
その輪っかから月を覗けば月が三角に見えるとかいう話があった。

俺がタバコを吸い出したのもこの本がきっかけだ。
本当に三角に見えたのか、その本にも真相は書いていない。
ただその噂話の真相を確かめるべくスモーカーになったやつの話がメインだった。

俺は見たかったんだ。
三角の月ってやつが。
タバコの煙で輪っか作るなんてのは昨日吸い出して今日できるって訳はなく
それこそ健康を引換にしなきゃならないが。
見たかった。
今ほどタバコの健康の害が声高に言われてない時期だったから
その時はそんな気合いもなしで
ただ煙の向こうの三角の月が見たいというそれだけでタバコを吸い始めた。
まぁ年齢が…あったからいろいろ犠牲にしたものもあったけどな。
若気のイタリアンだ。
あっさっき食ったのたらこスパゲティだった。
和風じゃねぇか。
旨かったけどな。

そしてなんだ?
ああ三角の月だ。

三角の月が見れたかというと
煙で輪っかが作れるようになったときにはそういう志もニコチンだらけだ。

ただ喫煙癖だけが残った。

忘れてた。
忘れてたんだ。

いや、そうじゃなくて。

タバコを吸うきっかけはきっと他にあったんだろう。

ただ時を同じくしてこんな本を読んだからいい言い訳にされちまったんだ稲垣足穂は。
いい迷惑だな稲垣足穂。

そう。思い出した。稲垣足穂の一千一秒物語だ。

どうしたことかここ一週間中学生レベルだった頭ン中がいきなりクリアになってきた。
桜の魔力かよ。

桜といえばロイの肩越しの桜。

今ならロイの名前もそして他のロイの記憶も引きずりだせるかも知れねェ。
あのつじつまの合わない遠足の翌日のことも。

しかし試してみたが無理だった。
やはりロイの思い出はあやふやなままだ。
遠足の翌日はやはり不可解なままで
ただロイの肩越しの桜の花が…今と同じように…

いやまてよ。

なんで桜が咲いてるんだ?
遠足はいつだ?
桜なんかいくら遠足が早めの行事だったとしてもとうに散っているだろう?

じゃああのロイはいつのロイだ?
ていうかロイって誰だ?
どんなやつだった?
すきっ歯だったのは本当にロイか?
ロイの髪色も背格好も覚えてねぇのになんですきっ歯だけ覚えてるんだ?

頭はクリアなのになんだか狐につままれたような感覚。

何本目かのタバコは口にはさまったままで煙をくゆらせる。

まさに目と鼻の先だというのにそれすら霞のようだ。

そしてその霞の向こうに…

そこから
見えた。

三角の月だ。




ああ、三角だよ。
なんだ輪っかなしでも見れるじゃねぇか。

それにしても三角の月。

なかなかヘンテコだ。
あんま神秘的じゃねぇな。

でもまぁ写真でも撮っといてやろうか。
携帯を取り出す。

黒崎と違い俺は写真なんか携帯で撮ったことがねぇ。
だから少し手間どったがフォトモードのこれでいいんだな。
しかし生憎暗い。ごちゃごちゃいじっているとなんとか暗いところでも明るく撮れる感じになった。
これならいけるだろう。

そして携帯を月に向けるとタバコの煙越しでなくとも三角だった。
なんだタバコすらいらなかったんじゃねぇかと苦笑いしてカシャリとやった。

暗い場所で初めて撮ったにしてはいい出来だ。
おまけに被写体が格別特別だ。
なんたって三角の月だ。

データフォルダに保存しますという表示を確認して満足していると突然呼び出し音が鳴った。

なんだいい気分の時に。

しかも非通知ときた。
誰だか知らんが邪魔すんなと電源ボタンを長押しして強制的に電源を切って黙らせてやった。
写真はまたあとで見ればいい。
今は現物が目の前にあるから…って…ええ〜?

さっきまで三角だった月がまた丸い月に戻っていた。
しばらく呆然とする。
さっきのあれは…?
いや、錯覚だったかどうかはこの携帯の写真を見ればわかる。

さっきの呼び出しが誰だか知らないがまたかかってこないことを祈りつつ
再び電源を入れようと…って電源入ったままだし!

あれ?
俺電源切ったよな。
その証拠にさっきの呼び出し音はバッサリもう聞こえない。

…と携帯を見れば通話中になっていた。

てことはだ。

電源を切ったつもりが電話に出たことになっちゃってるわけだ。
呼び出し音は当然途切れるよな。

で、でたはいいが俺は喋ってない。
というか相手誰だ?
電話に出たが喋らない俺って思いきり不審じゃねぇか。
きっと相手にはそう思われてるはずだ。

とりあえず電話を耳にあてる。
呼び出し音が鳴ってから随分たってるから
きっと相手は呆れて切ってるかも知れないなと思ったが
意に反して電話の向こうからはカサコソと音がする。

つまりまだ通話中だ。

こちらの出方を待っていてくれてるんだな。
誰だそんな気の長いお人好しさんは。
申し訳ないから出てやるよ。
誰だ?

「悪い。なんか電話おかしくて」
別に電話はおかしくはないがまぁ妥当な言い訳だろう。
こんな気の長いお人好しさんなら許してくれるだろう。

「…せ?」
かすれた声がする。
誰かわからない。
きっとシカトな通話にいきなり俺の声がしたから驚いているかも知れない。

自分の携帯にかかってきた電話に喋っただけで相手に驚かれるなんてなかなかある経験じゃねぇなと思う。

「えっと、誰だ?」
「…切らないで下さいね先生」

「…黒崎?」

気の長いお人好しは、
俺が気の長いお人好しを演じていた相手だった。













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