■07


学校に着いたらすでに昼過ぎとは言いがたく夕方前といっていい時間になっていた。
まばらに人がいる職員室を覗くと俺の机の上に嫌がらせのようにファイルが山積みになっているのが遠目にも分かった。
それにかなり退いている出入口の俺の姿をすかさず教頭の机にスタンバっていた東仙が捕らえてロックオンをかけてきた。

「来たな!さぁそれを五十音順に揃えてしまえ。それから出席表作成と新クラス担任の挨拶文…あ、これは印刷して生徒に配るやつな。
 あとは生徒の前で滑らない挨拶ギャグのネタの打ち合わせだ。忙しいぞフレッシュマン」
まだフレッシュマン言ってやがる。
「挨拶ネタはいらねぇだろ」
「要るぞ!初日にして生徒のハートをがっちり掴むには今や笑いは必要不可欠だ。即ち笑いとは高等生物だけに許される特殊な感情で…」
やかましわ。
ウスラネボケマンだのフレッシュマンだのほざいてるよなお前に笑いのレクチャーされたくねぇやい。

横でネタネタとうるさいステージママみたいな東仙は気合いで黙殺して居ないものとし、とりあえず机の上のファイルを片付けることにする。
でねぇとコーヒーも飲めねぇ。
てんでばらばらにバサバサと積み上げられてるファイルはいわば生徒一人一人のカルテ…内申書類だ。
つまり今ここにあるのは明日から俺が受け持つ生徒のものだということになる。
あとのクラスの生徒のはもうそこの担任が抱え込んでしまってるから残ってるのはこの机の上のんだけだろう。

とりあえず方向がばらばらになってるそれらを背表紙が一見できるように揃える。
背表紙には生徒の名前が判子押しされているのでそれを見ればやりやすい。
揃えていくうちにふとその一つにありえない名前を見た。


『黒崎一護』


目の錯覚かと思った。
恋するあまり全ての文字という文字があいつの名前に見えるとかいうやつ。ちょっと変態がはいってるかもしれない。
しかしやはり黒崎一護は黒崎一護にしか見えなかった。
手に取ってパラパラ捲ると見慣れた俺の文字が見え、そしてオレンジの髪の俺好みのちょっとしかめっ面の顔写真と目があった。
去年の夏休み初日を思い出した。
二人でいるときは黒崎はこの表情をしなくなった。
かわりにはにかんだような…

おっと思い出に浸ってる場合じゃねぇ。
今はとにかくこのファイルがなんでここにあるのかが問題だ。
思考をふりだしに戻す。

なんで?
黒崎は、朽木のクラスに行っちまったんじゃ?
ちらっと朽木の机を見る。
机の主はすでにおらず、神経質そうに整理整頓された机の引き出しの書類入れには
きっとピシーッと音がしそうなくらいに整然と並べられた生徒のファイル群が光を放っている雰囲気が
机の素材を透かして周りに漏れ出でていた。
きっと五十音よりもある意味高度な日本語とされているいろは順に並べられているに違いない。
そんな朽木がまさか生徒のファイルを抜かす訳がねぇ。

「なぁ東仙」
「教頭と呼べ」
横にまだ居た東仙に声を掛ける。
「呼び方なんかどーでもいいだろ。なぁ、なんで黒崎が俺んクラスなんだ?朽木んとこじゃねぇの?」
「は?黒崎お前のクラスだぞ」
「だってほらクラス分けの紙に…」
「お前が見たあれはお前持って帰ってお前行方不明になってたからクラス分けまたやり直したと言ったろう。
 前のに何書いてたかなんかはもうお前以外誰も知らん。ああ、」
東仙は自分の机に戻りファイルから一枚取り出してコピー機の所に行きがしゃんがしゃんコピーをしたものを持ってきた。
「これが最終決定だ」
今度はきっちり印字されている。
見れば俺の名前の下に確かに黒崎一護の名前がしっかり列なっていた。
思わず苦笑が溢れた。なんだ?なんだったんだあの一週間前の俺の苦悩は。
「なぁ東仙」
「教頭と呼べ」
「クラス分けって…流動的なもんか?」
「というと?」
「不確定な条件が結果を左右するかってことだよ」
「ああ、それなら…」
東仙は何を思ったかテキパキと俺の作業を手伝いだした。
「あるな。クラス分けの醍醐味はそれだ」
「醍醐味?」
あっという間に机の上は片付けられ敷いてあるビニールマットのグリーンが見えた。
「問題アリと優秀な生徒は吟味してクラスの割り振りをするが…」
「駿河?」
「黙れ。茶摘みでもするか貴様。あとの可もなく不可もない生徒は…くじ引きで決まる」

え?
なに、それ…?

つまり黒崎は俺にとっちゃ特別でもここじゃ可もなく不可もない生徒って事ですか?
それでくじ引きされたって訳か?朽木は別に黒崎を狙ってた訳でもなくただくじの神様に黒崎を割り振られて甘んじてただけか。
そしてそのくじ引きの結果その1で俺は黒崎とお別れギリギリまで追い詰められて引越しだ。
そして図らずも凹みまくりの俺が持って帰って行方不明(?)やら引越しのバタバタやらでその諸悪の根源の結果1がなかったことになりそれがまた別の結果2を呼び込むきっかけを…ああややこしい。
そしてその結果の二つともが俺の与かり知らぬ場所で決定されている。

全く…
運命てやつァ。

はははははははと笑いながらドサリと椅子に座り込む俺を別のなんらかの原因でキレたかと心配した東仙があろうことか
「まぁ…いろいろ事情があったんだろう。落ち着いてやれば早く終るし俺も手伝うし」とか言っている。
その面を眺めてニタリと笑ってやると
「そうだな…まずはコーヒーでも飲むか」とそそくさと給湯器に向かって走り込んで行った。

お陰で仕事が早く片付いた。
東仙はまだネタネタとやかましかったが芸人はアドリブだろと言ってやるとしばらく考え込み
なるほどそれもアリかと手をうちそして何故か俺に握手を求めてきた。
気持ち悪いが無理矢理手を握られぶんぶん振るに任せているとようやく「ありがとう」という意味不明の言葉を浴びせられて解放された。
察するに俺がアドリブがどうとか言ったことが東仙の中に新境地を拓いたらしい。
どうでもいい話だ。

しかしアドリブで新境地が閃いたというなら東仙の今までの笑えないギャグ(?)はもとから練られた『ネタ』だということになる。
あのウスラネボケマンもフレッシュマンも。よく考えたらアドリブよりもタチが悪い。
どうでもいい話だ。


仕事が早く済んだといっても行くのが遅かったから帰り道はとっぷり暗かった。
新居にはまだ食い物が調達されてないのでコンビニに寄ってから帰る。
新しい部屋に帰りつき着替えもしないでベッドに倒れ込む。
そして東仙の寄越した紙を取り出す。
まぁ何度見ても黒崎の二年の担任は俺なんだが。

っと待てよ。あの赤い髪を忘れてた。アイツどこのクラスだ?
なんだか嫌な予感がした。
いや内申書類のファイル整理の時も出席名簿の作成の時もアイツの名前を見ていない。だから…
期待したが砕かれた。
そうだ。
東仙が大方手伝っているから見てない生徒もいる。
おそるおそる紙を広げる。
職員室で見た時は俺と黒崎の名前しか目に入ってなかった。
改めて見る。
アイツの名前は確かあば…。『あ』で始まるから黒崎よりも上にくるはずだ。
そぉっと目線を広げた名簿の上のほうに向ける。

なかった。

というか。

名簿逆さに広げてました。

逆さ向きの文字がみっしりしてる名簿をひっくり返す。
そして改めて…
あ〜

ありましたわ…

阿散井恋次。

どこまで人の恋路を邪魔しやがる。
いばらの恋路とか名前変えろよ。絶対恋が叶いそうもない名前だな。
鋭い眼光でいつも俺を睨む切長の赤い瞳を思い出す。
うざい。
邪魔。
だが。

黒崎が選んだだけのことは有るんだアイツ。
黒崎が別れないだけのことは有るんだアイツ。
黒崎がアイツと別れてくれりゃ万々歳だ。言うことナシだ。
黒崎ん中で俺の占める位置はどうやらかなりの面積だというのは…よくわかった。自惚れていいだろう。
だが。アイツも黒崎の彼氏で。
だからいつも俺はそれで凹んだりイラついたり。
でも…これがいいんじゃねぇの?魚は釣るまでがいい。釣ったあとの魚にゃ餌はやらねぇんだ。
だがこの魚は…釣ってからが勝負だ。今も勝負中だ。
そしてこの勝負の行方は…

立ち上がってコンビニの袋を手に冷蔵庫に向かう。ビールやらなんやら買ったから冷やす。
要冷蔵のものを冷蔵庫に放り込んでからまだここに来て一度も捻っていないキッチンの蛇口が気になった。
ちゃんとまともな水出るんだろうな。
黒崎のおばけ煙突の話を思い出した。あれは給水塔らしい。
何世帯分をまかなってるんだろうかと考えながら蛇口から流れる水を確認する目の端っこに何やらちんまりと「ありえない」物体を捉えた。
ありえないていうのは引越してすぐの何もないはずのキッチンにあまりにもさりげに有るからありえないんであってべつにおばけとか言う非科学的なもんじゃ…ない。
手に取って見ればそれはインスタントのカップ蕎麦だった。
回りの透明ビニールになにかマジックか何かで文字が書かれていた。

「引越し祝いです」

思わず笑ってしまった。
昼間一緒に飯を食ってから別れたがまた来たのかあいつ。合鍵渡してるしな。
というか。
ふっと思い立ってベッド脇に戻る。クラス分けの紙を眺める。
そして携帯を出す。見たら電池がヤバい。
ベッド脇の引き出しから充電器を出す。
出すとき間違って違う段を開けたらアレが入っていた。黒崎がくわえこんでたあれ。
ここにはいないのになんだか黒崎の恥ずかしいとこをこっそり覗いているような気がして
誰もいない部屋なのに俺は慌ててそれをしまう。
しかし一つ上の段の引き出しから充電器をだして携帯に繋ぎアダプターを壁のコンセントにさす間も頭ン中は昨日の黒崎の姿が大占領だ。
しかも誰も居ない部屋だというのに俺はつとめて真面目な顔をしていたはずだからまさしくムッツリスケベを地で行っている。

そしてこのムッツリスケベは黒崎を蹂躙した黒い物体と
昨日の黒崎の壮絶といっていいイキ方と
黒崎が言っていた「痛くして」の三題からピンと来てしまった。

ああ、そういうことかと。

この仮説が正しければ。

残飯なんかじゃねぇ。
これは。


そうかそうかとムッツリスケベはその答えの歓喜のままに携帯を手に充電器を填めながらアドレスを引っ張りだして発信する。

3回のコールのあと電話の向こうでもしもしと言う声。
「今いいか」と聞くとハイ今自分ちの部屋ですと答えたあと先生から電話て珍しいですねと続く。
まぁたまにはいいだろと言うとそうですねと屈託ない笑顔まで浮かんできそうな笑い声。

『仕事終わったんですか?』
「済んだ。あっ引越し祝いありがとな」
『あっ…すみません勝手に入って。それ置いただけっすから』
「鍵持たせてんだから謝るこたねぇって。あ〜ここポットもヤカンもねぇから学校で食うぜ」
『え?なかったんですか?すみません』
「いいよ。引越し祝い貰ったんなんかはじめてだわ。ありがとな」
『…はい』電話の向こうの声が少ししおれている。
なんか余計なこと言っちまったと思い話題を変える。
というかこっからが本題だ。
「あ…あのよ…身体痛くねぇか?」
『あっ?はい…』
言ったあと本題だとしても性急なネタふりだと思った。
うりゃ〜っ沈黙になっちまったじゃねぇか!
なんか「今日はヨカッタカイ?」とか言う、
実は燃えるには燃えたが年のせいか不完全燃焼はなはだしく
その埋め合わせに「アナタよかったわよ」と女に言わせて疑似満足を得ようとするキモイオヤジみたいになってしまった。
違う違う。
さっさと聞けよムッツリスケベ。
さっきの仮説を証明するんだろ?
「変なこと聞いていっか?」
『え?』「答えたくなけりゃいいけどよ」
『あ…はい』
こんなとき目を丸くする仕草がかわいいんだよな。
「お前さ。彼氏と二連チャンやったことあるか?」
『え?なんでそんなこと』
電話のむこうの声が上擦っている。きっと顔を真っ赤にしてるんだろうな。
「気になったから。あ〜ヤキモチととってくれていいぜ」
ヤキモチというよりかは
  …いやヤキモチなんだが。

恥ずかしがってるわりには妙にきっぱりとした返事が返って来た。
まるで問われるのをまっていたかのようなその口調にも得心がいく。
『…ないです』

だろうな。
あんときの俺と一緒だ。
さすが黒崎の彼氏。
いつも先回りして黒崎のリスクを最小限に留める。それができなきゃ黒崎の彼氏の資格はねぇだろ。
ただし。
「あんがと変なこときいたな。。じゃ、おやすみ」
しかしそれは…。
電話のむこうで待って先生と慌てた声がする。
あ?と留まると
『明日から学校ではあまり会えないんすけど…』。
あっ。そうだった。
黒崎の中では明日から黒崎の担任は朽木のままだ。
しまった。今となってはその件は悪い冗談でしかない。
しかし黒崎は冗談ととってくれるだろうか?なんだか俺が一芝居うって黒崎を試したみたいに取られても言い訳できない状況だ。
しかし…
「あ。それな、黒崎」
黙ってたって明日にゃバレる。
「クラス編成やり直しになってよ」まさか俺のせいでとは言えなかったが。
『やり直し?』
気が付いたら電話に繋がっている充電器のコードをもじもじ指に絡めてしまっていた。乙女か俺は。

「あのよ…ええと、…お前、…進学諦めろ」
『はあ?』
電話の向こうの口調がなんのことだと言わんばかりにはねあがる。
『何すか?何かあったんすか?』
なんか多分あり得ない最悪を想定してるかもしれない。
「なんもねぇよ」
『だって進学…』
「今までと同じだ。'何もねぇ'ようになったから諦めろっつったんだ。
 大学行けなくても俺がなんとかしてやっからよ責任は俺みてぇだし」
まことに俺は教師失格だ。
『それって…』頭のいい黒崎のことだ。察しただろう。
「そ!またお前は毎日俺の面みて勉強に集中できねーんだよ」
なんていうか'どうだ'という気になった。
どうだ参ったか。
この事実に俺は腰が抜けんばかりに喜んだ反面この一週間はなんだったんだという反動もくらったが
果たしてキミはどうかな?この衝撃に耐えられるかな?って感じだ。
少しばかり叱られてもいたしかたないと覚悟も決めたが見事にあてが外れた。

黒崎は…笑っていた…。電話の向こうで吹き出す様子がわかった。
姿こそ実際にはみれなかったが凄く安心したような…。

「なんで笑ってんだよ…」
笑ってませんといいながら笑い声が漏れている。弾んだ声色。
「セーセキ落ちんの確定だぞ」
これは自惚れてもいいだろう。俺の顔見ちゃ俺とイチャコラの妄想たくましく勉強に集中できない黒崎だそうだから。
だから一週間前、笑ってたんだ。
安心したみたいに。
学生の本文は勉強だとは思わないが黒崎らしい責任感のせいであの笑顔がでたと信じてる。信じていいんだな。
それだけでそれだけで満足だった。
「だって確かに俺先生の…見て…きないけど……いつも……しくて…」
あ?何言ってんだ?てかお前笑いながら喋ってるから聞き取りにくいよ。喋んなくていいよ。いいからさ。
お前が笑ってるだけでいいからさ。 





しばらくカップ蕎麦のパッケージを眺めていたがやはり考えを実行にうつすことにする。
つまりだ。家にはポットもヤカンもないが電子レレっレ…ン…ジ…あ〜ええとそうそう「チン」はある。
不思議だがこの家電の名前を澱みなく言えない。
なぜだろう?
あとパッキンのついた保存容器。
「チン」可とあるからこれに水を入れてマイクロウェーブの力で湯を作ることは理論上はでは可能だ。
その湯でこの蕎麦を調理することが出来る。

見事理論は実現を見た。
ちょっと湯が足りなくてダシが濃ゆいが俺は引越し当日に引越し蕎麦を食うという今までにない快挙をなしとげた。
引越しはそれこそうんざりするほどしてるのに。
今までの引越しを思い出しながらふっとしばらく引越しはしないでおこうと決めた。
せめて…せめてあいつが卒業するまでは。
卒業の時はあいつは18か。
まだ関係は続いてるんだろうか?
いや、続けるさ。
しかも妙な自信があってその時黒崎は完全に俺だけのものになってるんじゃないかと半分くらいは確信している。

なんたってこのムッツリスケベな俺は大変な切札の存在に気づいてしまったからだ。

そう、黒崎は…というか黒崎の身体は反応がいいんじゃない。
むしろその反対だ。
確かに男に慣らされてるからそれなりの反応を示すようにはなっているが…

二回目からなんだよ。

本当にあいつを抱いたことになるのは。
この二回目は一回目からそうインターバルをあけちゃならねぇ。
一回目の余韻アリのときだ。
少々痛がってるくらいでいい。「痛くして」はこれを気にするなというイミ。。だろう。

二回目にくらべりゃ一回目は露ばらい程度準備体操程度で。
多分黒崎は自分の身体がドウしたらドウなるのかって事をうすうす気づいてる。
でもこればかりは一人で調べて確信するなんてのは無理だろう。
だからといって二度目をせがむなんてことは黒崎の性格からしてできない。
はしたないとか思われたくないんだろうしせがみ方によっちゃ一度目で満足してないと相手に言ってるみたいにもなる。
黒崎にはできないだろう。
だから、
仮説の域は出ないが、だからわざわざあの夜来たんだろう。
家族がキャンプで留守なんてのは多分黒崎らしからぬ、だが黒崎らしい小さな嘘だ。
なんで春休み中とはいえ平日に家族揃わなきゃいけね〜行事が企画されなきゃなんねーんだ。
こんなとこでばれるようなザルな嘘。ウソのつけない黒崎。

しかしそんな嘘をついてまで
本当にあの日でないとダメな訳が黒崎にはあった。

つまり俺に前菜じゃないましてや残飯であるわけがないメインディッシュを「ご馳走」するために。

今俺の背後の引き出しに入ってるアレもそうだ。
アレをくわえこんで一回目。これは露払い。
二回目の俺。これが「本番」だ。
見事俺にご馳走してくれやがった。
いっぱい食わされたというのは変だが
良いもん食わされた。
いや、確かにハンパなかったぜ。

ご馳走さん。



男ってやつはバカな生き物で「アナタが初めて」と言われたがるところがある。
いわゆる開拓者の遺伝子で一番乗りを好む。
エロいことにもそれは同じで昔の遊郭の女郎の「初めて」に高値がつくのを見てもこれは明確だ。
エロくなくとも初物なんて言われるみたいに別に初物食って75日本当に寿命が伸びるわけじゃないがとにかく「初」ってのは「いい」のだ。
で、黒崎。
残念なことに黒崎の初めての男は俺じゃない。
俺は黒崎を食ったが寿命は伸びてない。
いや「初物」てそういう意味じゃないから。
自分にとって初めてかどうかが問題にされるから
やはり俺はもしかして75日余分に人生をプレゼントされてるのかも知れねぇ。
しかしそれを確かめる術はあの夏休み初日からすでに75日以上たってしまっている今となっては実際ないに等しい。
まぁそれはいいとしてそれはわかってて黒崎と関係を持ったからそれは不問だ。

しかし黒崎の中でそれが負い目になってたりすれば?
「俺が二人いれば」と言っていた。
前の部屋でのことだ。
あれは自分の全部を提供したいのにできないジレンマから出た言葉かも知れねぇ。

そして俺の記憶の事。
『全部俺の記憶に刷りかわればいい』
あれは俺だけに言ったセリフなんだろうか?穿っていいなら自惚れていいなら。

黒崎は自分の記憶も刷りかえたかったんじゃないか?


去年の夏休み以来俺を悩ませ混乱させてるのはオレンジの髪の少年。
だがあのオレンジの頭の中はもっと悩み混乱してるはずだ。
俺はアバウトですぐ決着つけたがりな生き方してきたから黒崎みたいな状況にに立ったことはねぇ。
だから悪いが黒崎の気持ちはわからない。
だが、相当に混乱してるのは黒崎の姿見たらわかる。
なにも答えの出せない状況がどれほど辛いか、それはわかる。
重力は気持ちの中にもあってやはり人は翼がないから安定した陸地を望んでしまう。
それが黒崎の中にはない。
運命を切り拓く風切り羽も方向を決める尾羽根も持たずに陸地の分からぬ空間に飛び込んでそう長くはいられない。
わかってるから俺はそれを回避して生きてきた。
そして本当なら黒崎にも着地して欲しい。
できるなら俺に。
しかしなかなか状況は今食ってる蕎麦の麺以上にこんがらがっている。
てか、蕎麦。
ムッツリスケベな考えごとしてたら伸びてますけど。
で、多分今の俺みたいに伸びてるけどまぁいいやとこんがらがったままの麺を流し込むなんて芸当は黒崎にはできなくて。

ふわふわと上も下もわからない中でせめてひとつくらいは明確に答えが欲しかったんだろう。

つまり、赤い髪のあの野郎には身体の。
俺には、その先の未踏覇の。

それぞれに「初めて」を捧げたと思うことで黒崎の中でひとつ答えが出せたんじゃないか。

そしておかげで俺は切札を見つけてしまった。
もう残飯だとは思わねぇ。
金曜日はちとつらいが次に土曜日があると思えばそれもまたよし。
俺の読みが正しければ黒崎は土曜はあの鍵を使ってうちに来る。
前のこともあるからはじめは遠慮するだろうがなに、知らん顔して俺から誘うし。
だからせいぜい金曜日に準備体操でもやっときゃいいさ。
本番は俺が貰う。ざまぁ見ろってんだ。

伸びてる上に冷めてておまけにダシがもともと濃ゆかったという最悪の引越し蕎麦を
ただただ気持ちだけで食いきったムッツリスケベはこれもひとつの答え(思い込み)にすぎないんだけどなと思ったが
悪くないなと満足していた。


満足しながらタバコに火をつけると細い煙が漂う。
何の気なしに目で追うと窓の外が明るいのがカーテン越しに見えた。
月だ。
立ち上がりカーテンを開ける。
優しい光に眼を撫でられる。
一日しかたってないからほとんど昨日と変わらず真ん丸に見える。
ペロっと舌で唇を濡らしてから指に挟まってるタバコをくわえる。
深く吸って煙を口ん中に溜める。
ここがちょっと難しい。
あまり吸い込みすぎると逆流して鼻から出るし口が煙で辛くなってしまう。
少ないと煙が薄くてカタチになる前に霧散する。
唇が乾いててもダメ。
タバコを持ってる手はなるべく身体から離す。
でないと先から出る煙に気流が乱されてキレイにできない。
そうして『ぽ』の発音をするような感じで煙を少しずつ押し出すと煙で輪っかが出来る。
何回練習しただろう。
出来た輪っかはグニャグニャと生き物みたいな動きで漂う。
そおっと空気を乱さないように腰を落としその穴の開いたボディ越しに月を覗いてみた。

ありゃ?

三角…の…?


じゃない丸いままの月だった。
…まさかな。

苦笑して姿勢を戻す。
上ばかり見ていたが視線を下にやると夜の図書館の灯に桜が浮かび上がっているのが見える。
見惚れていたかったがタバコの先の灰がヤバいのでそろそろとテーブルに戻る。
灰皿に押し付ける。タバコのほとんどを灰にした火はあっけなくサクッと消えた。

桜を見に窓際に再び近寄る気はすでに失せてそのまま座りこみ横にあるベッドに頭からもたれる。
空になった蕎麦のカップが目につく。
ああ、明日ご馳走さんて言おうと決める。
ご馳走さんご馳走さん。

どうやって食ったか聞かれるだろう。
そうしたら「チン」の功労でゴチになれたと言おう。
なんで俺はうまくあの家電の名前が言えないんだか。

レ レ…レンジ。
そう、レンジだ。

レンジのおかげで。 

黒崎は笑うだろうな。

その笑顔を見るのが楽しみで仕方ない。



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