(3)
タバコが口から落ちたが俺は固まったまま。
黒崎はそのタバコを目で追うように視線を下に向けそしてそのままうつむいてしまった。
だから黒崎の顔は俺からは見えなくなってしまった。やべぇ。
…泣いて…る…んだよな。
黒崎。
沈黙。
俺が一番苦手なやつだ。
たいがい沈黙すると頭ってやつはマイナスイオン…じゃねぇマイナス思考になる気がする。
そして二番目に苦手なのが…
「訳を言いたいなら言ってみな。聞くくらいは出来るぜ。言いたくねーなら…」
そうだ。沈黙の次に苦手なのが…
「泣くなよ。好きなやつに泣かれたらどうしていいかわからねぇ」
「?!」
黒崎の震えていた肩が一瞬ぴくりとした。
次いで恐る恐る顔が上がる。
「…今、なんて…?」
涙で濡れた目。
「だから」
俺はわざと鹿爪らしい顔を作って
教壇に立ってる時みたいな話っぷりで黒崎を指さしながら
「好きなやつをヒィヒィ哭かせるのは好きだが
好きなやつにメソメソ泣かれるのは苦手なんだ」と言ってやった。
黒崎は目をぱちくりさせて俺を見ている。
不良教師の突然の告白に涙もすっこんだようだ。
「俺?」
「他に誰がいるよ?」
ものすごくうろたえているのが分かる。
実は俺も内心メッチャうろたえてるんだぜコラァ。
どうせならよ。もっとこう、ワイルドにだな。
「俺のものになれよ」とかやりたかったんだけどよ。
泣いてるのを泣き止ます手段に俺のとっておきの告白をやっちゃったわけだ。
つまり今の俺の告白はガキ相手の
「よーしよしよし、いないいないばぁっ」と全く同等の価値になってしまったんだ。
くそぅ。俺の一世一代の告白が!
しかしこうなった以上、いくとこまでいかなきゃならんだろうが!
全くの見切り発車だが。
「教師のくせに生徒に、なんて言うなよ。関係ねぇからな。その問題は俺ン中では解決済みなんだ参ったか」
「……」
黒崎は黙ったまま。
たださっきまで俺を凝視してた瞳が今は泳いでいる。
「それから、こっちのほうが俺には大事だ。
お前に彼氏がいようが、それも全く関係ないぞ。これはまだちょっと解決してねーけどな」
その彼氏が今頃死んでたりなんかしたら一気にスピード解決なんだが。
「せんせ…」
「ここに来て急に先生よばわりかよ。じゃあ、先生がもう一ついい事を教えてやろう」
俺は自分の言葉に自制心を揺さぶられている。
やばい。酒のせいか?
肩越しに背後のドアを指さす。「そこのドアな。鍵かかってんだよ」
自分がやったんだからわかりきってはいたが
いざ自分で声に出してここが密室だと再確認したとたん
俺の教師の仮面は完全にはがれてしまった。
そしてその事実を俺の口から今はじめて聞かされた黒崎は…
固まって動けなくなってるようだ。
「びびってんのか?」
立ち上がって黒崎の座っているソファの前にまわる。
「ここ、学校…」
「学校でやっちゃダメって校則はな、ねーんだよ」
そこまで気をまわした校則があれば見てみたいもんだ。どんな言葉遣いで書かれてるんだよ。
物語風になってたらどうするんだ?
そんな生徒手帳なら毎週LHRで朗読したいわ。
「それとも何か?学校の外ならいいのかよ。なら連れてくぞ。どこでもお前の好きなとこ」
「先生…」
「『先生』はやめろや」
しゃがんだ俺は座ってうつ向いている黒崎の顔を斜め下から覗きこむ。
そしてそのまま唇を合わせた。
はじめはついばむように。
拒む素振りが全くないから内心ちょっと拍子抜けしたが次第に深く。
うつ向いている黒崎の上体を起こし仰向けてソファに横たえる。
ここまでいけばもぉ最後までいったと同じだ(と思う)。
黒崎は本当に見事に全く抵抗もせずに俺のなすがままになっていた。
慣れてやがるのかただのマグロなのか。
慣れてるとすればかなりの仕込み様だ。
頭の隅で今頃どこかで「果たしあい」とやらをしてる赤い髪の…なんだっけ?
出席番号2番のアイツが何故かラベンダー畑でスキップしながらこっちに手を振り振り近づいてきた。
そして満面の笑みで「穴兄弟よろしく」とか言いやがった。
やかましいわ。
だからお前はそこのラベンダー畑に住むケモケーモ(←?)に咬まれて転んで
身体グルグルのギリギリに絞められたところで
前の日食ったアンコキノコウオ(←??)の毒がメッチャ効いてきて死ね!
「どこがいい?」
頭の隅でアイツが冷たくなったのを確認して俺は黒崎の顔を両手で挟みこむ。
前髪が乱れてあらわになった額を唇でなぞる。
「じゃあ、名前のない場所」
「名前ぇ?」
こくりと頷く。
「どこにあるんだ?」
「知らない。だから連れてって下さい。
名前がなくても名前を名乗らなくても名前を呼ばれなくてもいい場所に」
意味がわからねぇ。何を言ってるんだ?
だが言えるのはこいつは自分の名前が嫌いなんだろう。
俺はちょっと考えて黒崎から目線を外しながら言った。
「その場所かどうかの保証はねぇが思い当たる場所は知ってるぜ」
念の為に言っておくがそこはラベンダー畑じゃない。
行って死体の第一発見者なんかなりたくねぇ。
「え?」
「連れてってやっていいが一つ条件がある」
「条…件?」
「お前の全部、見せろ。」
「…身体…が条件?」
「ナメんな。俺がんなエンコーみたいな真似すっかよ。そこはウソツキは入れないんだよ」
「ウソツキ?」
「お前みたいな」
「俺、嘘なんか…」
「じゃあなんでさっき泣いた?」
言いながら黒崎の制服のボタンを外し、はだけた胸元に俺はパチキを入れる。
「ここに」
肉を通して骨が打ち合う鈍い音。
「溜め込んでんだろ?家族にも彼氏にも言えねーこと。全部出せや」
もう一発パチキ。今度は俺の爪が当たったからさっきより高い音がした。
黒崎の顔に隠せない動揺がさざめいている。あとちょっとか。
「一護って呼ばれるのは嫌か?」
これで黒崎は落ちた。眉と目の間が急にひらいた。
「せんせ…」
「先生はやめろって。そんなイイモノじゃねぇよ。勤務中に酒飲むし生徒に手ぇ出すし」
「…」
「もともと向いてねぇんだよ。先生って看板は。
でもよ。俺がここに居る為には肩書きがねぇといけねーらしいから
だから俺は建前で教師やってんだ」
「苦しくないですか?向いてない建前演じて」
黒崎はさっき俺がパチキを入れた所を指でなぞっている。
「完璧にやろうとしたらそりゃしんどいだろな」
しんどいと言えばこの体勢もしんどくなってきた。
黒崎の上に被さりつつ黒崎に体重かけないように身体浮かせてんだ。
しかも安物ソファの合皮張りが支点の肘とか膝とか滑らせて安定が悪い。
もう少しくるんでいたかったが俺は上体を起こして黒崎を解放した。
横たわっている黒崎の傍らに腰かける。
向かいのソファの足元を見れば俺がさっき落としたタバコがあった。
屈んで拾い火をつけた。
「俺もお前の親父さん見習って禁煙するか」
黒崎は煙を目で追っている。そして下を向いてつぶやいた。
「6月18日はおふくろの命日なんです」
「そうか」
「………」
「なんだよ。続けろよ」
「色々聞いてこないんすね。なんで死んだのかとか」
「聞いたらお前は嬉しいのかよ」
「いや…」
「ならいいじゃねぇか。オバハンみてーにごちゃごちゃ聞くのは苦手なんだよ」
黒崎はなんだか呆気に取られたような顔を一瞬見せたがまたすぐに目線を下に向けた。
「まぁだからその日はおふくろの命日で親父はその日一本しかタバコを吸わなくなって」
「あぁ」
しばらく沈黙になった。重たくて息苦しい。嫌いなんだ。
なんかここで俺が言うべきなのかと黒崎の方をみると
黒崎は下唇を噛んでいた。
メッチャ嫌だったが俺はもうすこし待つことにした。
「…俺はおふくろを守れなかった」
引き絞るように沈黙を破る黒崎の声。
「…だから名前が…嫌いなのか」
あんまり黙っていたから俺の声もかすれていた。
「たり前だ。一番守りたかったものを守れなかった。
なのに俺は一護だ。
一つも守れなかったのになにが一護だ?
一つも護れませんでしたの一護じゃねぇか」
語尾が粗い。
「名乗る資格もそう呼ばれる資格も…」
そのあと黙って下をむいてしまった。多分、これだけ言うのにすりへってしまったんだろう。
あとは俺が引き継いだ。
「…ないから名前のない場所か」
そゆ、事か。現国の朽木を思い出した。
あいつ下の名前「白哉」とか言ったはずで確かに名前の通りナマっ白い。
あれが色黒だったらあいつはどうしただろうな…?
朝の支度に顔に白粉を塗りたくる色黒の朽木を想像してみた。
いやまて、実際のところ本当にそうなんじゃねぇのか?
あいつなんか化粧品の匂いプンプンするし。
「名が体をあらわす…ってのはありゃ嘘だよ。豆腐っつってトーフが腐ってるか?
七面鳥っつって顔が七つあるかってんだ」
「!?」
「でもって七面鳥が『俺は名前負けしてるんだ』ってうじうじしてるか?っていうと、してねぇだろ?」
「鳥だからじゃ…?」
「そうだよ。鳥だからな。あいつには関係ないんだよ七面鳥と呼ばれようがサンダーバードと呼ばれようが。
あいつはあいつなんだ。わかってんだよあいつは。自分が自分で自分以外の何者でもないってな」
「……」
「でも、人ってやつは意味を求めたがる」
話が難しくなってきた。
俺はちゃんと言えるんだろうか?
ていうかダルくなってきた。
黒崎の気持ちのつかえはわかったから俺ン中でこの問題はもう終わってんだ。
悪くいや「飽き」てきた。
しかし黒崎にはまだ進行中の問題で俺は言え吐き出せって言った以上最後まで付き合ってやらなきゃなんねぇ。
短くなったタバコを空いた酎ハイの缶の飲み口で押し消して
俺はソファに横たわったままになっている黒崎に向き直った。
「そして、その意味の大半が幻想だ」
「?」
「まぼろしなんだよ。理想とか建前とか」
自分で自分の言ってることがそれこそマボロシみたいにアヤシクなってきた。
これはボロが出ないうちになんか決め台詞かなんかでピシッとシメちゃわないと俺のいい加減さがバレてしまう。
――つか、もうバレてるか。
「建前なんかテキトーにこなしてたらいいんだよ。
しかも名前の意味なんざ自分で自分の名前つけるガキなんざいねぇ。親の幻想だ」
「親父の…?」
「お前の場合、それがちいとばかり仰々しいもんだからお前がしんどいんだな。
お前頑張りすぎてんだよ。その名前のせいで。
だからいつも顔に出てる。無理してますってな」
無理してるとは知らなかったけどな。しかめっ面は常態だと思ってたから。
「……」
「一つのものを守りとおす黒崎一護くん、なんつーのは幻想だよ」
「幻…そ…」
「そんなもんいねーよ。
居るのはたまたま黒崎一護って名前がついてるお前だけだ。
お前は黒崎一護の前にお前だろが。
無理して黒崎一護を演じるこたねぇよ」
「…」
「黒崎一護はオリコーサンだもんなぁお前。大変だろオリコーサン」
黒崎の顔に手を伸ばす。
「でも、本当は違うんだよな」
黒崎の目は顔にあてられた俺の手と覗きこむ俺の目を行ったり来たり。
「ガッコで酒飲むし」
「これは先生が」
「教師誘うし」
「ちっ違っ先生が」
「そうだった」
俺的には誘われてたけどよ。ずっと前から。
黒崎の表情は相変わらずだったがあきらかにいつもよりも子どもっぽかった。
そうしてみると本当にかわいらしい。
そんな黒崎の顔を目で楽しみながらふっと思い付いたことを言ってみた。
「俺だったらお前になんて名前つけるかな?みかん?」
黒崎は唐突に言われて戸惑った顔をしていたが苦笑を浮かべて「髪の色で決めないでください」と言った。
「じゃタンポポだ」
「髪型です」
「いつもしかめっ面」
「悪かったですね。てかそれ名前じゃないです」
「マリモ」
「テキトーに思いつくもの言ってるだけでしょ」
「マグロ」「……一護でいいです」
「おう。一護な。いい名前だよなァ」
言いながら黒崎の唇を指でなぞる。黒崎にバレないように深呼吸してからその名前を囁いた。
「一護…」
黒崎は今目覚めたばかりみたいな顔をして「先生」と囁き返してきた。
「先生って言うなって」
黒崎は目を閉じて「俺、教師を先生って呼ぶの先生がはじめてです」と言った。
「え?まじかよ?」
光栄…といっていいのか?
「マジです……上っ面でなんでも決めたがるやつらをどうしても先生って呼べなくて」
はぁ…。
ほんっとお前かわいくない生徒だな。
だから成績はいいのに職員室の評価はいつも微妙。
だけどそれがお前の守り方だったんだな。
「なるほど確かに一護だな」
「何が?」
「きっちり守ってやがる。プライドってやつ」
黒崎が笑った。
照れているような。
誇らしげにも見えた。
いい子だな。お前。
もう、泣くなよな。
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