結局…泊まる事にした。
まぁ、雨もひどいし…。帰るつもりもなかったし。
朝帰りなんて恋次ともやったことがない。
午前様は…まぁ何度かやったことはあるけれど。
先生は家に一本連絡入れとけと教師な顔して言ったけど
朝の早い親父はとうに寝てるだろうし妹たちを起こすのも悪いといってそらした。
別にはた目には先生とこに泊まるというだけで変な勘繰りされるはずはないんだけど
変なことしちゃってる手前言いにくい。
友だちん家に泊まってるというのも、なんだかやましい感じがする。
やましい事しちゃってるんだけど。
で、結局、風呂は一人で入った。理由は簡単で風呂がさして広くないから―。
それにしても先生とこれだけ長い時間ずっと一緒に居るって初めてだ。
しかも先生は昼間しこたま寝たから眠くないと言うし
こっちも始終やはりドキドキして眠くない。
だから一晩二人で何もない部屋で過ごす訳だけどさすが先生というかよく喋るので手持ちぶたさになるとかがない。
先生は普段も一切教科書も黒板もなしでぶっ続けに喋って1時限の授業を成立させる人だけど
その才能(?)はここでも如何なく発揮される。
こちらはテーブルを挟んで授業を受けているようなもんだ。
だだし内容は違うけど。
例えば学生の時に男ばっかりで闇鍋をやって誰かがタコ刺しを入れたんだけど
明かりをつけたらタコはなくピンクの汁の鍋になっていて
鍋を片付けたら鍋の底にタコの吸盤だけが残っていたという話で1時間引っ張れる人は先生くらいしかいないだろうと思う。
こんな話普通秒殺に近い。
なんでもないこと(ピンク鍋が「なんでもない」話な訳はないけど)が
先生のフィルターを通すとこれだけ意味深い出来事になる。
世界をこんな風に見れたら退屈なんかしてる暇はないかも知れない。
日付が変わってなぜか占いの話になっていた。
先生は占星術は当たる「学問」だという。
ただ運命が決まるのは人がひとつの細胞の時点の星の位置で決まってしまうそうだ。
で。
だから占星術は外れるんだという。
出産予定日にぴったり生まれることはあまりないからだそうだ。
そしてその「出産予定日」ですらひどくあやふやなやり方で算出されているのだから
だから俺は占いなんか信じてねぇと先生は言い切った。
万能の占星術でも当たるはずがないジレンマを抱えている。
だから結局未来なんて判る術なんか「持たせて」貰えないのだとか。
占星術云々はよくわからなくてピンと来なかったけど
未来なんてわかる訳がないという話は惹かれる。
未来がわかってしまえば可能性って言葉も気休め以下のただの呪(まじな)いになりさがるだろう。
そしてふいに、
携帯が鳴った。
携帯の音よりもかきみだされる空気がビリビリ音を立てたようでその「音」にどきりとする。
携帯の電源を切ってなかったことを悔やんだ。
先生は音に話の腰を折られてさも不愉快そうな顔を一瞬見せた気がしたが次になぜかニヤっと笑った。
「彼氏なんじゃねの?」
なんで…?
先生、今笑ってられるんだろう?
それは余裕?それとも…?
それが気になって先生の笑顔から目が離せない。
なんで笑ってるんだろうこの人は。
そして発信者も確認せずに習慣みたいに通話ボタンを押して耳にあて「もしもし」と言っていた。
目は先生を見たまま。
先生はまだ笑顔のまま。
その笑顔に少しサディスティックなものが見えた気がしてなにか見放された気がした。
クラリと視界が歪む。
電話の主は…やはり恋人だった。
『悪ィ、寝てたか?』
多分電話にでるまでに、
時間が、
かかったから、
年若いのに気のつく彼は、
そう察してくれたんだろう。
「いや、携帯カバンの中に入れてて…」
先生はタバコに火をつけている。
さっきほど笑ってないけど目は面白くて堪らないみたいにニヤニヤ笑っている。
人が困るのを見て笑うTVの芸人に共通した表情にも見える。
―さぁピンチだぞ?お前はどう切り抜けるんだ見てやるよ―
誰だろうこの人はと思った。
さっきまでの先生じゃない。
あれは誰だった?
今いるこの人は誰だ?
電話の向こうでは恋人が、友だちの具合はどうだとか話をしている。
耳にはいらない。
先生が二服くらいしか吸っていないタバコの火をぐちゃりと消して上体を前に屈ます。
立ち上がるんだろうか?
しかし立ち上がらずに先生はそこでわざとらしい大きな咳払いをした。
『…誰か居んのか?』
電話の向こうにも丸聞こえの咳払い。
どういうつもりだろう。
だめだ。
親父が居るんだって言うか?
いやもう誤魔化せない。
この人は秘密を共有してくれるんじゃなかったのか?
ニタリと先生は笑う。
意地の悪い笑い。
これは、二股のしっぺがえし?
人を欺いて、
人の気持ちを考えないで
自分勝手に行動したことへの?
先生みたいな大人がこんな茶番に乗るわけがなかったんだ。
生徒と恋愛ごっこして、
もう面倒になったから―――?
オイタヲスルトヤケドヲスル。
ガタガタ身体が震えだした。
その肩に先生が手を伸ばしてきた。
ポンポンと優しく(?)叩かれる。
何?
何をどうしたいんだろう?
何をどうすればいいんだろう?
―――オイタヲスルトヤケドヲスルゼ。
ふいに電話を取り上げられる。
えっ?と思ってる間に先生は電話の向こうに話を始めた。
「俺。わかるかぁ?」
「ちょっと先生やめてくださ…」
とっさにデカイ声を出してしまった。
恋次にも丸聞こえのはずである。
しまったと口篭る前に先生の手が口を塞いだ。
その動作で携帯を取り戻そうとするのも封じられる。
電話の向こうで恋次の声がするが
急に恋人の電話に違う男の声が乱入したのでいつものトーンからがくんと落とし気味の声になったらしく内容は全く聞こえない。
「そうそうお前のクラスの担任のォ…」
深夜の恋人の電話に乱入の声の主が自分の担任だとわかって恋次はどう思ってるんだろうか?
背中に汗が吹き出すのがわかった。
「黒崎、今俺ン家でよ。泊めてくからな」
ああもう万事休すだ。恋次とはオシマイだ。
それにこんなことする先生にもついてけない。
二股の罰だ。
何もかも失ってしまう。
「バァカ、何もねぇよまだ。変な勘繰りすんなよ。雨ひでぇから帰れねぇだけだからよ」
先生は恋敵(?)と楽しそうに(?)会話しながら
さっきとはうってかわった優しい目でこっちを見ている。
手が伸びてきて髪を撫でる。
「そりゃお前、学校一のナイスな教師の自宅に見舞いで乗り込んでんだ。
なにもなくても心配かけちまうだろと思ってとっさに言ったんだろが。
恋人想いなんだよ黒崎は。わかってやれや彼氏なら」
恋次が何か声を荒げて言っている。
「ちょっと何で」とか聞こえたから先生に関係がバレてることに焦っているのかも知れない。
悪ィ恋次。
「黒崎は言ってねぇよ」
バレてんだ。
夏から。
「バレバレだよお前ら」
それにしても先生の話がラズレズのぶっちゃけじゃなくて
何か「建設的」な気がするのは我が身可愛さからくるせいだろうか?
「そぉそぉ、俺が死にそうだから黒崎来てくださぁいっつったんだ。
俺黒崎好きだもん。入学んときから狙っててよ」
え…入学の時からって…?
「なら話早ェじゃん。それじゃお前、俺と勝負しようぜ?黒崎争奪戦」
先生の思惑に察しがついた。
なんて人だ!
電話の向こうで恋次が何か言ってる。
声のトーンが低くて聞き取れなかったが「そうこないとな」と先生が言ったからもうわかる。
先生は電話をしながら髪を撫でいた手でポンポンと軽く頭を叩いてきた。
「で、ルール作っとこうぜ。周りにチクりなしは当然だよな。
それからよ。
黒崎泣かせた時点で失格てのはどぉだ?」
先生はニタリと笑った。
「難しいぜ!黒崎すぐ泣くもんなぁ!可愛いけど」
電話の向こうの恋次はどんな表情をしてるんだろう?
恋次の前では泣いた事ないのにそんな勝ち誇ったみたいに言われちゃ恋次も言葉を詰まらせてるかも知れない。
「じゃはじめようぜ。今は俺ン家だから俺に分があんのはわかるよな?
それに関してごちゃごちゃ言うなよ。たまたま今俺ン家にいるだけなんだからよ」
先生の手が肩を抱える。
引き寄せられる。
「じゃ今日はやめとくぜ。お前もこんな事になっちゃあおちおち寝てらんね〜だろしな。
かーいそーだから止めといてやる。こっちもお前にバレてんのにやんのは興ざめだしよ」
何の話をしてるんだこいつら。
当人ほったらかしで争奪戦だのやるのやらないの…。
しかも先生さっきやっといて…。
呆れ加減で先生を見てしまったのかも知れない。
先生はペロっと悪戯っ子みたいに舌を出してこちらをチラリと見る。
「よっしゃ、じゃな。わかってるってよ」
そして先生は電話を切った。「たいしたヤローだな」と携帯を折りたたむ。
それを返して寄越しながら
「…というわけだ黒崎」
とニカっと笑った。
「なにが『というわけだ』ですかっ!恋次に全部バレて…」
「だからもう嘘つかなくていいだろ?」
先生はさっき火を消したタバコを灰皿からつまみだすとへしゃげた部分を伸ばしてからまた火をつけた。
タバコの途中部分から煙が出ている。
「ダメだこりゃ」とまた灰皿に押し付ける。
新しいタバコを出して火をつける。
「やなんだよお前が困ったり泣いたりすんの。
だからいっそバレてたらお前楽なんじゃねぇかって」
わかってる。先生、「でも、恋次は」
「あいつ、知ってたぞ」
息が止まった。
「お前他に誰か好きなんじゃねぇかってな。まぁ俺とは思わなかったみたいだけどよ」
恋次のいつもの仕草が思い起こされる。
いつもの笑顔、
いつもの声、
いつもの…。
その『恋次』を先生も見ているんだろうか?
「それでも構わなかったんだとよ。お前がカミングアウトしようがしなかろーが」
だからたいしたヤローだっつったんだよと先生はじっとこっちを見ている。
見つめ合ってるのに視線が絡まない。
先生はきっと『恋次』を見ている。
「なんで…」
「そりゃお前が好きだからに決まってるだろうがこのモテモテさん」
先生はちょっとしかめっ面をして下唇を出しふうっとタバコの煙を上に吹き出した。
「結局お前は『嘘のつけない』やつなんだよ」
ウソツキなんかじゃねェと先生は笑う。
その笑顔がまともに見れなくて下を向いたらなにかポタリと床に落ちた。
涙だと気がついた瞬間「泣くなよ俺が失格になるだろ」と先生の優しい声がした。
秘密じゃなくなってしまった密室の夜は更ける。
先生は頭を掻きながら「あ〜もう黒崎やっぱ寝ようか」と言い出してきた。
「ていうか起きてたら腹減るし」
眠くはなかったけど確かにその通りだと思って賛同した。
が、
「布団が他になくてよ」
先生のベッドで並んで寝る。
やっばいわこれまた変な気になるかもなと先生は独り言なのか聞いて欲しいのかわからない微妙な音量でブツブツ言っていたが
「あ。黒崎、ラストミッションな」と言い出した。
ラストという言葉に若干ギクリとした。
先生は「つか、聞かれたらの話だけどよ」と天井を見上げる。
「アドレスのアレな。あいつになんでアドレス知ってんのかとか聞かれたらよ、
俺が聞いてきたってことにしとけ」
頷く。
「嘘嫌いだろうけどな」
そのために先生に沢山嘘をつかせてしまったことを詫びた。
「そんな嘘ついてねぇよ。言ってねーことがあるだけで」
「でも入学の時から狙ってたとか」
「あ〜あれな」
先生は天井を見上げたまま「あれはホント」と言った。
「え?」
「入学ん時ってのは大げさだな。でも4月中だ」
そんな前から…
「キモイ教師だろ?」
見上げていた目が細められる。
何と言っていいのかわからなくて黙ってるとしばらくしてすぅすぅと規則正しい息が聞こえた。
覗いてみると先生は完全に眠っていた。
つついても起きない。
なんだか置いてけ堀な気分になったがよく考えたら先生は病み上がりだった。
本当は今日くらいはまだ寝てたほうがいいのに押しかけてしまって色々無理させたような気がする。
ガキでごめんなさいでした。
先生の言っていた占星術の話を思い出す。
難しいことはよくわからなかったけど、つまり未来は変えられるって意味なんだろう。
先生が言うと本当にその通りだと思ってしまう。
先生はやっぱり大人で先にこの世に生まれて先を歩いて生きてて。
そしてやっぱり憧れで。
そんな先生に好きになって貰えてる自分てやつが少し誇らしい。
恋次、ゴメンだけど今は先生の方が少し勝ってるよ。
でもお前も好きだから安心してくれよな。
そんなことをふっと考えて
以前なら罪悪感とともにどちらかのことを思考から消そうとしてたことに気付く。
自分の変化に驚きながら先生ありがとうと心の中で囁いて先生の肩先に頭を寄せる。
そしてガキみたいに眠りこけている先生の横顔をずっと眺めていた。
ふいに静かだなと思う。
雨が止んだらしい。
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