(壱)
で、俺は思わず居住まいを直して黒崎に向き合った。
で、「ご苦労さん」とか言っていた。
黒崎は笑いながら
「ご苦労さんは先生ですよ」
と二つあるビニール袋のひとつを俺に差し出してきた。
「先生、何が好きなのかわかんなくて適当に選んじゃいましたけど」
袋の中には箱があって蓋を開けると
親の仇でもここまではしないだろうって位にドライアイスがこれでもか状態で
アイスはその中でちんまり肩身狭そにしていた。
「ドライアイスばっかじゃんか」
「いや、先生いなかったら持って帰んなきゃいけないから沢山入れてもらって」
「居るっつったろ?こんなに重たかったろが」
「あ。はい。でも」
「居るのが仕事なんだ」
時給だからな。
「大変ですね」
別に大変じゃない。ただ退屈だ。
「まぁな。来てくれて助かるぜ。まぁ座れや」
向かいのソファを指し示す。
「あ。クーラー逃げるからドア閉めてくれや」
黒崎は素直にドアに向かう。
「鍵閉めなくていいぞ」と声をかけて余計なこと言ったと思ったが
「はい」とこっち見て笑うから変に弁解はしないでただ目だけそらした。
あ、気まずい。ような気がする。
黒崎の表情は変わらないがなんか目を合わせられない。
箱の中に手を入れてドライアイスにもみくちゃにされているアイスを救出して応接セットのテーブルの上に並べる。
「何個だ?」
「二つです」
その言葉通りハンドタイプのアイスが二本。
黒崎の「溶けるから」の言葉に反して
ドライアイスの怒涛の冷気にバイ@グラの作用でもこうはならないだろうって位に
ガッチガチのギンギンのコチンコチンだった。
コンビニでは見かけないパッケージだ。
というかコンビニで買えば箱やドライアイスはついてこない。
ということは「それなりの」店で買って来たものだ。
改めてビニール袋を見るとアイスのパッケージに印刷されているマークと同じものが描かれていた。
それは袋の中の箱の蓋も同様だった。
「いいの買ってきてくれたんだなオイ」
「はい、差し入れるって言った手前コンビニのショボいのはなんかなーとか思って」
「コンビニのでいいのによ」
「気持ちです。気持ち」
黒崎の意識がドアの鍵から離れてきた。
ようやく目を合わせられる。
そしてやっと俺は「ありがとうな」と言うことが出来た。
至極簡単な言葉だがタイミングを外すと難しい。
黒崎は歯を見せてニカッと笑った。
普段のしかめっ面からは想像もつかないが黒崎の笑顔のバリエーションは驚くほど多い。
そしてそのどれもが……可愛い…。
うっかり見蕩れてその白い歯を見て色の対比にはじめて気がついた。
「焼けてんな。どっか行ったのか?」
黒崎は少し日焼けしていた。
「あ、れん…、ええと日帰りで海に」
「海かぁ」
誰と行ったのかはその言い澱みでわかるよ。
チクショー。まだアイツ生きてやがんのか。
「あ。でもスゲー人で泳ぐとかいうレベルじゃなかったです。浸かるっていうか」
夏休み中ここに缶詰でレジャー云々じゃない俺に気遣ってくれてんだろう。
けして楽しかったとは言わない。
「海はあんま行かねーな。なんかガラじゃねえ」
負け惜しみじゃねぇ。本心だ。
なんかそういう青春ぽいとこは好きじゃねえ。
俺はな、どっちかというとインドネシアなんだ。
違った。
インドア派だ。
「先生は休みの日って何してんですか?」
「別に。貰うぜ」
アイスは二本でどっちも同じ味のように見えたから一本取って包みを開ける。
黒崎は残っているほうに手を伸ばしたがその時一瞬固まった…ように見えた。
「どした?黒崎」
俺の声にはっとした風に顔を俺に向けたが
「なんでもないです」とアイスの包みを開けるのに必要以上に集中しているように見える。
「?」
俺が見てるのわかってんだろうけど顔を上げない。
なんだよ?
なんなんだよ?
なんか俺やりましたか?
今日の俺は潔白だぞ?
多分な。
いや、フェロモンだだモレで存在自体がエロ(かっこい)いとか
そゆこと言われたら申し開きできねーけどな。
匂いたつ男の色香に蓋はできねぇ。
それをセクハラというなら言うがいいさ。
けど自発的にはなにもしてないぞ。
鍵もかけてねぇし。
頼むよ黒崎。
困るじゃないか!
そんな急にそわそわさん?
なんだ黒崎。
それは何らかのサインか?
俺にもそわそわして欲しいのか?
あぁ?
ダメだろ。
こんな場面でそわそわしたらまた俺邪気復活しちゃうじゃねーか!
てかそのアイスの食い方やめろ。
齧れよ。しゃぶるなって。
そんな先っちょチロチロ舌先でやってんじゃねぇよ。
たまんねぇなオイ。
だめだ俺、見ちゃダメだ。
あぁ〜なんてか下向いて伏し目がちでよ。
だめだ目が釘付けだ。
しかもなんか心ここにあらずって感じでしゃぶってんのがよ。
だから見ちゃだめだ俺。
心を強く持て。
はあああっ俺もアイスになりてぇっ。
黒崎の口の中でとろけてぇ。
だめだろ俺。
そんな事じゃいかんぜよ。どこの方言だ。
だからダメだって。
とろけるのは黒崎の奥の細道で…って違うから。違うんだよ。
これは何の拷問だ?
落ち着け俺。
頭冷やせ。
とにかく自分のアイスに集中しよう。
アイス食って頭も冷やしてみようじゃないか。
自分のアイスもレロレロとやりたくなったが思い切ってガブリとやってみた。
ざらり。
?
この感触は…?
「うげっ」
自分の歯形に切り取られたアイスの断面に目をやる。断面から覗いているツブツブは…。
「豆っ?」
「あ…アーモンドですけど」
アイスの断面に砕けた豆が入っていた。
アーモンドだかカシューだかピスタチオだか知らんが俺はこの豆ものが駄目なんだ。
歯にはざかるしよ。
それによ。歯にはざかって困るし。
その上歯にはざかるから始末におえねぇ。
「嫌い…なんすか?」
「…」
何も言えねぇ。
口に入ってるアイスの中にも砕けた豆は入ってるだろうから迂濶に口を動かせねぇ。
そんなことをしたら歯に豆が触っちまう。
実際には違うと思うが気分的には口が四角に開いてて
下顎に口内の温度で溶けかけのアイス(豆配合)がたまっている。
口をこういう風にあけてると当然ヨダレが湧いて出るから
気分的に四角く開いた口から中のもんがダラァってこぼれるのは時間の問題で
俺はそんなみっともねぇとこ黒崎には見せられないなという焦りと
豆が口に入っているという容赦ない現実に全身の血の気が引いた。
しかしそれを見た黒崎の反応はもっと深刻味をおびていた。
立ちあがってテーブルをまたぎ
「先生、口開けて」
と言うやいなや俺の言われなくても開いてる口に自分の口を押さえつけてきた。
「!?」
顎が外れるくらい驚いたがもともと口は大きく開いてるし。
「が」しか言えなかった。
その間になんということか、俺の口の中に黒崎の舌が入ってきたでわありませんかぁ。
思わず鼻息が漏れる。
なにが起こっているのかわからないうちに黒崎の舌は俺の口腔内でひと暴れして
唇が離れたときには俺の口の中のアイス(豆配合)はなくなっていた。
あまりの出来事に俺はポカンとしていた。
言葉の額面通り開いた口がふさがらねぇ。
呆然としている俺に黒崎は
「何してんですか?早くうがいしてきて下さい」
と凄い剣幕でソファに沈んでいる俺を急き立てる。
「すみません、俺がアーモンド入ってるって言えば良かったんですけど書いてるの見ればわかると思って」
書いてたのか。
違うこと考えてたから注意しなかった。
「いや、読まない俺も…」
「喋らないで早くうがい」
「うがいするほど毛嫌いしてねーよ。歯にはざかるから嫌いなだけで」
「は?」
今度は黒崎がポカンとする番だった。
「大丈夫なんですか」
「あぁ大丈夫だよ。ありがとな。だせーとこ…」
「アレルギーじゃ?」
「あ?豆にアレルギーなんかあるのか?」
「違うんですか?先生真っ青になってるからてっきり…
ナッツのアレルギーって怖いんですよ。命に関わる時もあって」
「初耳だ。それで慌てたのか」
「俺ン家医者で…そういう患者さん知ってるから」
黒崎はヘナヘナとソファに座りこんだ。
はぁぁぁと息を吐いている。
見れば黒崎の「しゃぶっていた」アイスは床に落ちていた。
余程慌てたらしい。
かくゆう俺の齧ったアイスも行方がわからねぇ。
探すと俺の座っているソファの後ろに落ちていた。
これは黒崎に押さえつけられた時に背もたれにまわした手から落ちたんだろう。
「…でも、良かった。先生がなんともなくて…」
黒崎は他人にゴマを摺る生徒じゃねぇ。
それはいつものしかめっ面と教師を名前で呼ぶことから容易にわかる。
だから今のは…?
いくらなんでもこれは東仙任せに出来ないカーペットの惨状に
落ちたアイスを拾いあげている俺の背中にその言葉は優しくふりかかってきた。
背もたれを挟んでいるから黒崎が今どんな顔をしているのかは見えない。
そして俺も今の顔を黒崎に見られたくなかった。
「すまんな」
それだけ言って俺は床の汚れをティッシュで拭うことに必要以上に没頭していた。
だがそうして誤魔化してられるのも僅かな間だ。
俺は意を決して立ち上がりわざと不機嫌そな顔を作って
「悪いな。せっかくの差し入れなのによ」
と、これは作りじゃなく本心を言った。
「いいですよ。また持ってきます。
今度はナッツの入ってないの…」
「いいよ。お前だってタダで持ってくる訳じゃ…」
「だから」
強い口調で俺の言葉は遮られた。
黒崎は俺を見ている。
「せめてそれまでは…」
それまでは?
「先生ここに居てください」
?
「居るよ。仕事だから」
「…本当ですか?」
「嘘ついてどうすんだ。仕事だから居るっつってんじゃ…」
「じゃ、これはなんですか?」
黒崎は俺を見据えながらテーブルに手をやり、
そこから一枚の紙をめくりあげて俺のほうに突きだした。
それは東仙お手製の「チャート式辞表」だった。
放り出していたのを忘れていた。
当然ソファに座った黒崎にはばっちり見えている。
「辞める…んですか?先生」
「辞めねぇよ、それは東仙が」
「先生っ」
また遮られた。
黒崎はなんだかただならぬオーラを全身から揺らめかせている。
俺は思わず「はい、すみませんでした」
と訳もなく謝りたくなりそうなのをかろうじて踏ん張った。
これがまた黒崎には違う意味に取れたのだろう。
今度は授業中でもこんなレベルのものはお目にかかれないな
というような極上のしかめっ面を見せてから下を向いた。
「…先生、俺、今日ここに来たの、差し入れもあったけど相談もあって」
いきなり話題が変わった。
俺の辞表問題はどうなったんだ?
スルーかよ?
辞めねーけど。
でも俺まだ黒崎に納得して貰えてない自信があるんだけどよ。
納得してないよな黒崎。
納得しないままスルーしないでくれよ。
いちお、俺の身のふりかた問題だから。
そんなスルーされたら寂しいじゃねぇか。
もっと食い付いて…。
「先生、二股ってどう思います?」
「は?」
副業の二文字が頭を掠めた。
プロセスはこうだ。
頭は辞表のことで一杯だったからよ。
辞表と二股で二足の草鞋という言葉が浮かび
二足の草鞋と辞表がまた結合して副業という言葉が叩きだされた訳だ。
「二股です。同時に二人を好きになる…」
あぁ、そっち系の話か。
「アリなんじゃねの?」
咄嗟に答えてしまったが俺はまだ拾ったアイスを手に持ったままだ。
溶けたアイスは俺の手を伝わってさっき拭いたカーペットをまた汚している。
その上手がべたついて気持ちが悪い。
そろそろと流しの方に移動する。
黒崎は下を向いたままだが心眼とやらががっつり俺を見つめている。
分かるんだ。なんてか気配?
「アリですか?じゃ、される方は?」
「される方か」
俺の意識は今どっちかというとアイスの処分に向いている。
黒崎の話がピンと来ていない。
あと辞表のこともかなりの割で意識を占めている。
申し訳ないが黒崎の話には生返事だ。
「あんま気にしねぇな」
アイスを流しに捨てて蛇口を捻る。
ザーと音がして黒崎の言葉が少し聞きづらい。
「例えば俺、恋次と付き合ってるんですけど」
わかってるよ。だからアイツは二学期になんとか処分…
なぜだか無意味に力をこめて蛇口を閉めていた。
「で、その俺が今、先生に好きだって告ったら先生はやっぱりいい気しないですよね」
「いや、俺は会ってる間主義だからあんま関係な…」
何を言ってんだ黒崎。
「今、なんて…?」
濡れた手のまま黒崎に向き直る。
黒崎は顔をあげていた。
「恋次…恋人が居るくせに何言ってんだって言われるかも知れないけど
先生辞めちゃったらもう先生に話す機会ないし」
だから辞めねぇって。
話の前提にそれ、止めてくんねーかな?
「恋次の事は好きです。だけど俺、先生のことも好きなんです」