後篇【 そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう 】←どうでもいいタイトルは前後繋げてひとつの格言です。ブールジュさんて人の名言です。
しかしそれからが良くなかった。
久しぶりの酒は喜助の歩き方をフリではなく正真正銘の千鳥足にしてしまった。
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これはヤバいなと思いながら
なんとか皆の前では大丈夫大丈夫と酔ってないふりをしていたが
自室前で波その1が襲ってきて喜助はへなへなと座り込んでしまった。
以前はこんなことなかったのに
現世に来てからほとんど飲まなかったのは確かだが
全くもって何から何までオヤジになってる自分をしみじみ実感する。
ついでに視界に入った
自室の閉めたつもりの襖が少しばかり開いたままになっていたのにも
デリカシーのないだらしなさが滲んでいるような気がして滅入った。
人間よりもはるかに長い寿命を持つ死神でも確実に年を重ねていくのだ。
もはや誕生日を祝って貰ってチャラチャラへらへらしてるだけでは済まされない歳月が
馬の蹄の伸びるより確実なスピードでさらさらと流れ落ちていく。
あと何回こんな穏やかな誕生日を迎えられるだろうか。
あと数時間で新年を迎える
いわばたいていの人がそれなりに期待に胸を膨らませてる神聖な時間だというのに
只今の自分のこの凹み様はナニ様だろう。
せっかく年が新しくなるというのに自分だけの凹みに逃げるなんて何様もいいとこである。
とりあえず立ち上がる。
いや立ち上がる意志だけは完遂する。
このまま自室前で座っていては皆に不審に思われるし波その2が来たらこの場で涙するかも知れない。
それは情けなすぎる。
オヤジにはオヤジなりのプライドがあるのだ。
やはり立ち上がれてるつもりなのは意志だけのようで
よろよろと半ばへえつくばるように自室に潜入する。
こんな無様な姿はエロハンサムの沽券に関わるとはわかっていたが
先にも思ったように自室前の板間の冷たい廊下で涙するほうがはるかに情けない。
当然だが誰も居ない自室にはすでに床が延べられていたが
朦朧とした頭では今朝不精したものかどうか思い出せない。
不精したにしては角が整っているからもしかしたら鉄裁が気を回して先に延べてくれたのかも知れない。
へえつくばっていたから豪快なダイブとは言い難いがそれでも喜助は柔らかな布団に着水した。
先ず帽子を放り出し、羽織はクロールの真似事で上手く脱げたから布団の端に放り投げた。
しかしその間に伝わってきた布団の冷たさが酔いを少しばかり冷まさせたのは確かである。
とりあえず波その2は免れたようだ。
そうしてうつ伏せに布団に大の字になりながら少し冷めた頭は眼は
部屋の一箇所に釘付けになってしまった。
そこにはちょうどあの夜一から預かった風呂敷包みが置いてあった。
そこに動くものを見たような気がしたのである。
よほど酔ってるなと自覚しいしい
本能は別のところで急激に酔いから喜助の意識を確実に遠ざけている。
そして無意識に握っていたのが杖―紅姫と気がついた喜助はまだまだアタシもやってくれますねと内心ほくそ笑んだ。
さて冴えつつある頭脳で次に解析したいのが風呂敷包みのところの動く影である。
風呂敷包みの陰に隠れたようにも見えたから仔犬か猫くらいの大きさではあるまいか。
こんな小さな虚は現世ではお目にかかったことがない。
よしんば虚だったとしても霊圧を感じられない。だから本当に猫かも知れない。
夕飯前に表で撫でたあの白足袋の猫を思い出す。
同じようにニャアと声真似をするとなんと
その白足袋猫がおずおずと風呂敷包みの陰からこちらを伺っていた。
喜助は思わず破顔した。
そして得心する。
そうだあの時商店の戸はほんとに猫くらいしか通れないほどに開けていた。
そして先の自室の襖もこの猫が潜入していたとすれば納得がいく。
商店の重いガラス戸は無理としてもそこを突破できれば
屋内の軽い襖を開けるくらいは猫にはたやすい筈であろう。
別にアタシのデリカシーが年と共にすり減っていたからじゃないんスね。
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あと少しで終わる自分の誕生日に思わぬ珍客を迎えて喜助は心から嬉んだ。
すっかり酔いの冷めた体を起こし居住まいを直してこの客をもてなそう。
予定に思っていた客とは違ったがもう構うものか。
ニャアニャアと声真似を続けて手招きすると先ほどと同じように近寄って来た。
そして撫でるとすり抜けて布団の中に潜り込む。
このツンデレ具合がまた誰かを思い出すが…。
「お腹はすいてないんでスか?」
と聞くと布団から頭だけを出してミャウという。
これがまた何か言いたげに聞こえる。
「猫語はわからないんスよ。待ってて下サイね。なにか台所から失敬してきまスね」
と喜助が頭を撫で…
ん?
さっきは頭は撫でさせてくれなかったんじゃ…?
喜助の思考完了と目の前で起きた出来事のどちらが収束が早かったであろうか。
たちどころに猫の周りに白い帯のような煙が立ち込めた。
それと同時に猫は霞のように消え
かわりにそこにまさに艶やかで鮮やかな毛並みのツンデレ人間体が姿を現したではないか。
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しかも全裸で。
夜一の変身は見慣れているものの
「黒崎サン?」
これは面食らった。口が閉められない。
しかしなるほど風呂敷包みの中身―その客の姿を見れば自ずとわかる―あれは彼の服であろう。
夜一よろしく猫から全裸人間体に変容ならぬ変妖を果たした客は
その生まれたばかりの体を隠すようにぺたりと布団の上にへたり込みながら
「こっこれなら驚いただろーが…このカッコは成り行きついでだけど」と吐き捨て
それから少し黙ったあと
「誕生日おめでとっ」
と俯き加減で呟いた。
驚かされた仕返しもかねて
「え?聞こえまセンけど」とやらかしたかったがまずはこれが先だろう。
下らない意趣返しなんて大人のアタシがすることじゃない。
風呂敷包みを取りにいくよりも手っ取り早いので布団の端に脱ぎ捨ててあった羽織でまだ何か言いたげな彼を包む。
そうして喜助は
「最高のサプライズプレゼントでした。ありがとうございまス」と一護の顔を正面から見つめる。
一護の唇はまだまだなにかモニョモニョしている。話は聞きましょう。
たくさんたくさん話して下さいな。
でもその前に。
まだまだまだなにか言いたげなその唇を喜助は自分の唇で一旦ふさいでしまった。
「ハハァそれで夜一さんが先に黒崎サンの服を届けに来たって訳なんでスね?」
蕎麦をすするのに必死の一護はうんうん頷くだけで話の進行は喜助に委ねられている。
喜助が名探偵張りに推理を披露し、
容疑者(?)の一護が蕎麦をすすりながら合っているいないの相槌を打つといった
妙な会話の聞き役になってしまった。
しかしこの蕎麦は夕飯の残りものではけしてなく、
昨晩(猫にされて)から何も食べてない腹が減ったという一護のために台所を物色したが
正真正銘の猫ならいざしらず育ち盛りの少年にチーカマ2、3本はさすがに無理があるだろうと
表を通った夜泣き蕎麦からニ杯調達してきたものである。
夕方の妹のことといい、黒崎家にもう随分貸しができたものだ。
妹と言えば…
「黒崎サン、妹サンが心配してましたよ」
「遊子だろ?表のとこから見てたよ。でも猫のカッコで俺だっつうて出てけないだろ。
ちゃんと帰ってから謝るよ。メールくらいなら打てると思うのに夜一さん携帯まで電源切って荷物ん中入れちまうんだもん」
しかし…メールが打てるからと言って携帯ぶら下げた猫はやはり不気味だろう。
どうやら霊圧も封じ込められていたようだし霊力の有るものから見てもまるで普通の猫だ。
それが携帯持ち歩くのである。
見ようによっては犯罪の匂いがしそうだし
風の吹き方によっては桶屋丸儲けだけでは済まされずに騒ぎが大きくなるような気がする。
「携帯あの中にあるんスね?」
「うん」
「早めにお家に連絡されたほうがイイんじゃないスか?」
「いや、まだ」
「まだ?」
「テキトーな言い訳が思いつかねえからまだいい」
蕎麦(ニ杯)を食べ終えて喜助の淹れた茶を飲みほした一護はまだ喜助の羽織姿のままだ。
言い訳を思いつかないのも納得だが、この格好も問題だろう。
電話では相手に見えないからといってこの姿のままでは家族にはなんだかきっと直接連絡しにくい。
「しかし夜一サンも今朝とかにやればいいものを…一晩大変でしたね」
家族に連絡云々の話は引っ込める。
まだ彼には話し足りないことがあるはずだ。
「だろ?俺だってまさか相談してその場で術かけられるとは思ってなくてよ。なんだっけ?しほう?夜一さんの名字」
「四楓院でス」
矛先を違う部分に向ければ饒舌だ。
しかも蕎麦は食い終わっている。
内容はさておきやっと会話形式がまともになってきた。
「そうそうその四楓院家の歳末火の用心巡回があるから31日は無理だって30日のうちにって」
警邏も四楓院家の仕切る仕事だが歳末火の用心巡回に夜一が気合いを入れているとは思えない。
恐らく巡回のあとの飲み食いが目当てだろう。
「それでお家の人に連絡出来なかったんスね」
「そうそう。俺はただ単に夜一さんに浦原さんが何にサプライズするかのヒント貰いに行っただけだぜ?
そしたらさっさとこうしろってなんか長ったらしい呪文かけられて気が付いたら猫になってて」
さすがの夜一でも他人まで詠唱破棄で変幻自在できる訳ではなかったようだ。
しかしいくらなんでも詠唱中になにかされると気がつかないものか?
こういう警戒心がこの子には圧倒的に欠けている。
今だって自分の姿が相手によっては我が身に危険を招くとは恐らく考えてはいまい。
「で、『喜助に頭を撫でられたらその術は解けるからの』って…さっさと服持って消えちゃうしよ。
一晩この姿はキツかったぜ。
まぁ毛皮ついてたからそんなに寒くはなかったけどな。腹が減って…」
「それで表じゃ頭撫でさせてくれなかったんスね」
「たりめーじゃん。あんなとこで人間に戻ってたら…」
「恥ずかしいスよねぇ」
「ていうか…」
「ていうか?」
「風邪ひくじゃねぇか」
…全くこの子は…大人なんだか子どもなんだか…。
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「じゃあアタシが恥ずかしいことして差し上げましょうか?」
ゆっくりと一護の顔を覗き込む。
さすがにこれには大人の反応を見せた。羞恥に震えさせてやりたい。
「ちょ…まてっ…うらは…」
「待てませんよーなんたってアタシの誕生日はあと少しで終わっちゃいまスしねぇ。
こんな神セイな時間にそんな格好でアタシの部屋にいる黒崎サンがイケナイんでスよ」
一護の座っているのは延べてある布団の上である。
このまま押し倒せばこの子は拒みはしない。
はず。
家に連絡を入れさせなかったのが悔いだが
あのままあのサプライズがなければ自分も半ば忘れかけていた事だからあえて喜助はそれを忘れることにした。
黒崎家への詫びはあのショ袋いっぱいの駄菓子とさせていただこう。
雑念は整理の上、出来るだけコンパクトに小さくしてから思考の隅に追いやる。
邪魔者が嫌いであった。
たとい自分の思考でも。
ゆっくり一護の体を横たえる。邪魔者は全て片付けた喜助はもう笑顔を繕う必要はなかった。
「今日はほんとにありがとうございまス」
慈しむように抱きしめる。
その背に一護の腕が回る。
「俺も…」
「黒崎サ…」
「浦原さんの匍匐前進なんか初めて見た」
「…」
「布団の上で泳いでるのはかなりウケたしなぁ」
全部委ねきった柔らかな表情でそれを言うから素に言われるより堪える気がした。
また急いで笑顔を作る。
「見て…たんスか…あはは見てるっスすよねぇ…ここにアタシより先に入ってましたしねぇ」
しかしまさに顔で笑って心で泣いて―である。
羞恥に震えそうなのは自分だ。
正直穴があったら入りたい。
かくなる上は一護のn※rにn↓rして
全て忘れたい
忘れて欲しい。
「変なことするなぁと思ってたけど浦原さん酒飲んでたんだねぇ」
「えっ?わかりますか?」
なるほど先の奇行は酔ったせいにするという手もある。
確かに酔ったせいの体たらくであるから間違った路線ではない。
「いやぁ確かに飲みすぎちゃいましてねぇ。
でも酔うとイキにくいから一晩中ADSLか光通信かっつーくらい繋ぎっぱですよ黒崎サ…」
冷ややかな一護の視線を受けながら
アタシまだ酔ってますね
と
アタシ ヤバいこと口走りました
が 同時進行で喜助の脳裏を横切った。
とりあえず笑ったのだが、
そこからどうなったものか。
覚えてない。
なぜかそこだけ壊れかけのRadioのようにノイズが入って明確に思い出せない。
除夜の鐘が鳴ったような気がした。
新年の初詣で賑わう空座町の神社に堂々たる達筆で
禁酒
と書かれた絵馬が下げられたのは翌日1月1日のことである。