前篇【 自分の考えたとおりに生きなければならない 】←この本文にまったく関係ないどうでもいいタイトルは前後繋げてひとつの格言です。            ■後編



もしかするとジン太が只今接客中の少女が
夜一の言っていた「今日の客」かも知れないと一瞬思ったが、
その夜一から預かった風呂敷包みの結び目をほどかなくてはいけない理由が
少女と風呂敷包みを見比べてもとんと思いつかない。

少女は彼の妹の一人だ。彼には妹が二人居て片方は意志の強そうな面差しに、
もう片方は柔らかな髪の色に彼を彷彿させるものがある。
今店先に居るのは柔らかな明るい髪に苺―彼の名と同じ音を持つ果物―の髪飾りをしていて
この子は以前にも買い物に来てくれたことはある。
だがたしかにめったにお越しにならぬ客ではある。
しかし珍客といっても夜一絡みの客とは思えない。

それに風呂敷の中身に興味津々の喜助に夜一曰わくは
その客のその姿を見れば、自ずと風呂敷包みの中身も知れようとの事だが、
ジン太に押し付けられるままに(ありゃ多分会計度外視のサービスでスね)
小さな紙袋からこぼれ落ちん勢いでたくさんの駄菓子を抱えさせられた少女の様子を見て
風呂敷が要るなとは思ったが、
今彼女に必要なのはそのあふれる駄菓子を纏める風呂敷、あるいは大きな袋のような「包むもの」であって、
風呂敷包みの「中身」がなんであれ彼女にこれ以上のモノは必要ないと喜助は判断した。

店の奥からいわゆる「ショ袋」を出してジン太に手渡す。
「持てないのにたくさん差し上げてもご迷惑でスよ。こういうのは受け皿が肝心なんでス」
小さな紙袋ごと手提げの紙袋に入れる。
手提げ袋には浦原商店のマークはなくかわりに大手スーパーのマーク。
普段の浦原商店には手提げ袋いっぱい駄菓子をお買い上げになるような上得意様はいないのだ。
「これじゃウチの商品じゃねぇみてーだな」
とジン太が口を尖らせたが
「ほとんど差し上げるんでしょ」
と水を指したらさらにその口を尖らせる。
「俺の顔でなんとかなんだろ店長俺もっと手伝いするからよ」
ほんのり上気した頬が寒さのせいだけじゃないのはありありだった。
キョドるを通り越してふてぶてしくさえなってしまって
『俺の顔』
なんてほざいているジン太の様子にハハァとは思ったが気づかぬ風に
「そうでスね。このあと棚卸しするつもりですし棚卸し前セールということでジン太サンの顔立てまショウ」。
というかセール云々以前にほとんどタダで手提げ袋いっぱいの駄菓子はもらわれていくのであるが。

「黒崎サンにはひいきにしていただいてまスしね」
黒崎サン という言葉に少女はぴくりと反応する。

「あの、お兄ちゃん、来てませんか?」
ようやく言えたと言わんばかりの彼女は不安いっぱいの言葉とは裏腹にほっとした風である。
成る程、彼女の来店の意図はこれであったか。
買い物はついでである。
年末だというのに家にいない兄を探して思いつく兄の立ち入りそうな場所を訪ね歩いてウチに来たらジン太に捕まった…というわけだ。
ジン太相手ではいいたいことの半分はおろか挨拶もそこそこというか なおざりになるだろう。

「いらっしゃってないでスけど」
喜助の脳裏に先日の彼の言葉がよぎる。
―浦原さんてありきたりの誕生日プレゼントじゃ驚かないよな―
それに自分はなんと返事したか。
自分の誕生日を覚えてくれてたことにいたく感激したのは確かだが
それをちゃんと言葉に出来たのか、
また黒崎サンがアタシのためにしてくれるんならナンだって嬉しいでスよと言えたかどうか。
覚えてない。
なぜかそこだけ壊れかけのRadioのようにノイズが入って明確に思い出せない。
自分のことだからちゃんと言えてるはず―そうは思っても彼のリアクションすら定かに思い出せないのはなかなかに不安だ。
なにか捕まえ損ねた気がした。

しかも
「昨日からお兄ちゃん家に帰ってなくて。携帯も出ないし」
その言葉が念を込めれば少しは輪郭程度なら思い出せそうな記憶を
さらにあやふやな壁の向こうに追いやってしまった。我ながら焦る。
ああ完全に逃がしてしまった。
苛立ちさえ湧く。

そんな剣呑さを気取られぬようにニコリと微笑んで見せる。
笑顔は武器であり防具である。
心の底を見抜かれないための。

「こんなことお嬢サンに言ってもヨタ話にしか聞こえないでしょうが
 アタシらの若い時分も年末だろうがなんだろうが何日も家帰りませんでしたけどねぇ」

そうとも。ヨタ話である。
何日も空けるような
ふいに帰るような
帰りたいときにいつもある家はかつての自分にはなかった。
ここに居を構え、
鉄裁とジン太と雨(ウルル)と…寄せ集めながらも同居人を得て初めて自分は家を持った。

「心配されることないと思いますよ。黒崎サンのことだからちゃんと帰ってくると思いますよ」
そんな黒崎サンのことだから、
家族にも告げず家を空けるのが不安という向きもあるが―

「もしかしたら今頃帰ってるかも知れないし」
そんなことはない気がしたが慰めに言ってみる。
口に出すと少しばかり本当味をまとったようになるから不思議だ。
「そう…ですよね」
「もしまだ帰ってなくてウチに寄るようなことがあればお伝えしときますから、早くお帰りなさいな。ほら暗くなってきましたよ」
冬の日暮れはつるべ落とし以上に雪崩級である。
音こそないが怒涛のように暗くなる。
「お兄サンの心配もわかりますがお嬢サンも家族の方に心配かけちゃイケマセン」


さて少女は帰ったがこちらはまだ仕事がある…というか仕事が出来た。
「じゃあジン太は棚卸しお願いしますね」
「ええっ?はったりじゃなかったのかよ店長」
「アタシがはったりなんか言いまスか。なぁに店先の分だけで結構でス。
 ちょうどたくさん貰って頂いたから品数も少ないでスし今が棚卸し時でスよ。棚卸しして新年スタート!
 気持ちいいじゃないスかジン太のおかげでいい年迎えられそうでスよ。さぁジン太サン頑張ってジン太サンス敵」
小さな商店だ。
棚卸しなんざ必要ないがもっと手伝うと言った彼の誠意を存分に汲もう。
なに1時間もあれば仕事は終わる。
真面目にやればだが。

「雨(ウルル)に助っ人頼むのはナシでスよ」
そういうのを見張らなきゃいけない。
これが喜助の今年最後の浦原商店店主としての仕事となった。

しぶしぶ作業に取りかかるジン太だったが思いのほか没頭し始めて見張る必要さえなくなってきた。
すると退屈なのは見張りの喜助本人である。
喋りかけちゃ作業の邪魔になるだろうしで
かなり手持ち無沙汰な仕事納めになりつつあった。
憎まれ口を叩くジン太にほどよい逆捩じを食らわしつつ時間はあっという間に経つと思ったのに…。
仕方がないので物思いに耽ることにする。
さてどの物思いがいいだろう。
脳内の物思いライブラリーの中から色々物色してみたがオコサマの見張り中にうってつけの生易しいものはなかった。
なんだか生々しいものばかりがライブラリーに格納されている事実に少しもげて
ふらりと立ち上がり下駄をつっかけて没頭しているジン太の邪魔にならぬようにそおっと表に出た。
店先のジン太が寒くなってはと戸の隙間を少しだけ残して閉めてから煙管を出す。
かといって火を点ける気にも
物思いライブラリーを再度検索する気にもなれずただ師走の寒さが身を切るに任せていた。

ふと目の端に動くものを見た。
黒い猫であった。
夜一かと思ったが夜一の霊圧は感じられず、
それ以前に全身真っ黒な夜一とは違いこの猫は手足の先が白くなっていた。
いわゆる白足袋と言われて土地柄によっては嫌われたり歓迎されたりの毛並みであるが
黒い全身に白い足袋は死覇装を思い出す。

試しにニャアと声真似をして招くとすんなりと寄ってきた。
首輪もなかったし人に慣れておらず逃げられると思ってたからとても嬉しかった。
背中を撫でると野良猫とは思えぬ毛艶の良さ。
気を良くして頭を撫でようとしたらこれは少しばかり図々しかったようだ。
イヤイヤをするような仕草に誰かを思い出しつつ背中に手を戻す。
しばしその艶やかな感触を楽しみながら
夜一ついでに思い出したあの風呂敷包みと今日来るであろうという客に思いを馳せる。

そんな客、来ないではないか。
来ないと言えばイヤイヤの仕草の似合う彼もである。
浦原さんの誕生日とか思わせぶりなことを言っておいて今日がその日だというのに自宅にも帰っていないそうな。
まさか待たせておいて自分はすっぽかしてはい、サプライズ・・とかいう笑えないプレゼントではなかろうか。
全く最近の若いヒトは…と考えてそんな考えしかとっさに湧かない自分のオヤジさに苦笑した。

だからといって今日彼が来なくてもきっと自分は怒ることもしない、できないのだろう。
今日は自分を公然と祝える日なのだから祝ってくれ構ってくれ自分だけを見てくれと言えない、
そんな考えすら持てないほどに自分はオヤジなのだと思い知らされる。
そしてオヤジで大人なアタシはアナタの不確かな来訪より
夜一サンの言う客のほうが気になってるンですよ…だから気にしなくていいですよ黒崎サン。
よりによってこんな世間のくそ忙しい日に誕生日のアタシが悪いんスよね。
そこで我に返る。
なかなかどうして見事な物思いの耽りっぷりではないか。
しかも子ども相手に堂々たる凹みっぷりである。
このオヤジで大人な楽天家なアタシが。

また苦笑する。
いつの間にやら白足袋の猫は姿を消していた。
はていつの間に姿を消したのだろうか。
思いに気を取られて目の前のことが見えなくなるなどオヤジの大人のアタシらしくない。
それほどまでに、いや、そうまでしてアタシは彼と…
いやよそう。
物思いはラストシーンまで描いてはいけないのだ。
ライブラリーの蔵書はそうでなくてはならない。
図書館は夢を与えるものでなくては。
子ども相手でなくとも
閲覧者がアタシのようなオヤジであっても。
楽天家を気取るにはそれくらいの細心さが必要なのである。

棚卸しはジン太の頑張りによって雨
(ウルル)が年越し蕎麦を作るまでに終わってしまった。
得意げに仕事自慢をするジン太にやり遂げることの大事さを学んでくれてればと願う。
百年かけてもまだなし得てない仕事が自分にはあるのだが、あきらめてはいない。
年越し蕎麦と夕飯が並ぶ食卓に喜助のところにだけ一品多かった。
あらあらという顔で周りを見渡すと
「お誕生日ですからな」とまるで長年仕えた執事かなにかのように慇懃にかしこまる鉄裁と
メイドにしては覇気に少し欠ける気もする雨(ウルル)
「おめでとうございます」の慎ましやかな声が返ってきた。

しかし雨(ウルル)の声はジン太の
「ああ?誕生日てのは家族みんなで特別なもん食うんじゃねぇのか?それでみんなで誕生日祝うんじゃねぇのか」
という声にかき消されてほとんど聞こえない。
「確かにそうですよねぇ。現世の家族は大抵そのルールに則ってまスけど」
一品多かった品が刺身だからやりやすい。
まずジン太の小皿をとり自分の皿からとりわけ次に雨(ウルル)の小皿、鉄裁の小皿ととりわけて
「じゃあみなさんも一緒におめでとうサンてことで」
この分だと夜一の客も、ましてや高校生の彼の来訪なんてありやしない。
思いを馳せても詮ないことより今目の前にあることに心を注ごう。
かりそめでも「家」に居て
寄せ集めでも「家族」に
ささやかながらも祝って貰えるなんてこんな自分には過ぎた倖せではないか。
名前もわからぬ少しばかり泥くさい刺身をつまみつつ
やっぱりアタシは楽天家なんですねぇとひとりごち喜助は久しぶりに酒を飲んだ。



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