Circle Rainbow 【2】

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「我が右手に界境を繋ぐ石…」

覚えのある言葉だ。
たしか…そう今と同じようにここで。

商店地下の『勉強部屋』。

虚圏に連れてかれた井上を助けに行くときにも。

「我が左手に実存を縛る刃…」

言葉には霊子に作用する特有の振動があって、
そしてそれは指紋にふたつとして同じものがないようにその言葉だけの振動を持つらしい。
読み方が同じ言葉でも発するものの意識が違えば振動はきちんと分けられる。
例えば『茶』なんて色の茶と飲む茶があるけど漢字も発音も一緒だ。
だけど意識して意味をわけて使えば同じ振動になることはない…らしい。
うけうりだが。

「黒髪の羊飼い…」

そのうけうりを伝授してくれた駄菓子屋主は
今まさにその言葉の持つ振動の組み合わせを駆使して黒腔を開こうとしている。

やたらこ難しいフレーズの羅列だけど丸暗記してしまえば俺でも出来そうな気がする。
だけどやはり違うらしい。
暗誦くらいなら誰でも出来るが言葉を発するものの意識が伴なわないと術式は発動しない。
そしてその意識を鍛えるのが鬼道の修行なのだと。
そして極めれば言葉そのものの持つ振動を違うものにわざと書き換えたり
一つの言葉に複数の異なる振動を含ませたりも出来るらしい。
ここらへんまで来るともう俺には意味がわからない。

「縛り首の椅子…」

それにしても…以前の井上救出の時よりも事態が逼迫していないせいだろうか。
それとも俺が穿ちすぎか。
詠唱する主がいやに楽しそうに見える。
もともとあまり慌てない人だけど。

「叢雲来たりて我・鴇を打つ」

ぴしりと亀裂が走りやがて眠りから覚めた瞼のように空が開かれる。

黒腔。

眠たげな瞼の下には虹などあるわけもなくただ暗い空間が横たわっているだけ。

「さっ、行きましょうか」

主はさっさと中に入り込む。
やはり何か・・・・・・楽しそうだ。
まぁ事態が切迫していないのは良いことだと思うようにして俺もあとから続いた。

眠りを邪魔されて不機嫌なんだろうか、そんな事すら考えてしまうほどに中は霊子の乱気流。
進むには霊子で足場を作る…これ苦手なんだけどな。
石田の自動掃除ロボットを彷彿とさせる便利そうなアレとか
卯ノ花さんが作っていた角がピンと立った折り紙細工(神細工か)のような足場を思い出す。
あんな風には出来そうにない。

一歩踏み出そうとして足元を見ると短冊のようなもの。
足場のようだ。
見ればその短冊は何枚も並んで先に続き、ちょうど横断歩道の白いとこみたいだ。

「そこ、通って来てくださいな」

横断歩道の続く先から声がする。
足元から目を上げると黒い羽織姿が渦巻く乱気流の中に悠然と見える。
これは主の作った足場なんだろう。
滑空する足場は滅却師の専売だろうから置いといて、
隙間なく舗装された卯ノ花さんのあれにくらべるとこちらは大雑把に見えた。
けれど短冊一枚一枚が大きさも間隔も揃っていて主の几帳面さが伺える。
むしろこっちのほうが合理的かも知れない。

「その白いとこから落ちたら死ぬルールっスからね」

いや、ルールじゃなくて落ちたら本当に死ぬだろう。
それをルールって何なんだ…。
ルール…。
ガキか。

一歩踏み出す。
白い部分を踏み外さないように。

そうそう…ルールだったんだ。
小さいときはこの間隔が広くて助走をつけてポンポンポンと最初はリズムよく走るのだけれど、
最後になると歩幅と白いとこの間隔がズレてよく踏み外したもんだった。

今は反対にゆっくり注意して一歩ずつ足を運ばないと間隔が短くてこれも踏み外す。
けれど踏み外したら『死ぬ』ので細心の注意を払って進む。

そういや踏み外したらとっくにルール上は死んでるくせにまた挑戦!
とか言ってせっかく渡った横断歩道を引き返すんだとおふくろにねだったっけ。

おふくろも早く帰りたかっただろうにそんなのおくびにも出さず
俺に付き合って何回も何回も横断歩道を行ったり来たり。
今となっては懐かしい思い出…。
夢中になって白い部分を一歩一歩進む。
今のところノーミス!
どんなもんだ!とドヤ顔を向けるとニッコニコの笑顔を返してくれたおふくろはもう居ないけど、
童心に返ったみたいで楽しい。

そんな状況じゃないんだけど。


ふいに足場がパシャリと跳ねた。水みたいに。
というか水だった。

「?」

我に返って見れば横断歩道は途切れ、かわりにでかい水たまりが横たわっていた。
霊子が渦巻いているなかでそれは水だけが薄い膜になって浮いているようだ。
きっと足を着ければたちまち踏み抜いてしまいそうだ。

進めずにいると

「それも足場です」
と声がした。

数歩先に主が下駄を浸して水に立っている。相変わらずの飄々ぶり。
見てくれの危うさとは違ってしっかりとしたものなんだろう。

けれど、
何なんだ?
足場なんか適当でいいんじゃないか?
移動の為だけだろう?
それを横断歩道だの水たまりだの明らかに遊んでいる。
とっとと奥に行って界境固定とか言うのするんじゃなかったのか?

遊びに来たんじゃないのに。
たしかに…さっきちょっと楽しかったけどな。

ああ、楽しかったよ。悪かったな。

そう、主のおふざけに面食らっているんじゃなくてせっかく楽しんでいたおもちゃを取り上げられたから、俺は面白くないんだ。

それを気取らないように怪訝な顔を作り主に抗議する。

「さっきからなんなんだよ。死ぬルールとか、遊びに来てるわけじゃねぇんだろ?」
「いや、スミマセンね。これも大事なんスよ。今日は一筋縄じゃいけなくて。足場ひとつとっても一辺倒じゃ通用しないんで」

「今日は」の今日のところをやたらと強調する。
今日は特別らしい。足場の形状を場所場所によって変えていかなくてはならないほどに。

一理ある。
そしてだから俺が呼ばれたんだろ。
今日だから。

でも俺だって今日は特別なんだ。
知らないんだろうけど、本当ならこんなとこで得体の知れない駄菓子屋の手伝いなんかしてないで
妹の作ったケーキではぴばすでつーみーの日なんだ。
なんでよりによってアンタなんかと…一緒にいなきゃなんないんだ。
しかも台風だし。
うちに居たかったよ。

頭の中で一瞬のうちにここまで言葉を連ねたが外には出さない。

だって来たのは俺だから。
断れたはずなのにわざわざ家族にうそついてまで来たんだから。

外には出さなかったものの憮然とした面持ちにはなってたはずで、
主は察したのか(もちろん今日が俺の誕生日ってのは別で)さっきまでの飄々とした表情を引っこめ、
そしてバシャバシャと足場を逆戻りして俺の前に立った。

水たまり状の足場はアスファルトの上の水たまりそっくりに波紋を広げる。

「今日は来ていただいてありがとうございます」
ばか。
今わざわざ言うことじゃないだろ。

「ちゃんと…あとでお礼はしますんで」
違うってば。
別にお礼なんか。期待してない。
アンタなんかに期待なんてするもんか。
いつも掴みどころがなくて野暮でスケベでちょっとどSのアンタなんかに。
ただ、俺がアンタのそばに居たいだけなんだから。

いつも変な頼みごとばかりしてくるけど、断れないのは断らないのは、

アンタが俺を必要としてくれるのが本当は嬉しいからなんだから。
「お礼なんか…別に」
という唇をそっと塞がれた。



…指で。
指かよ。
ああもう。馬鹿にして。
まるで聞かん坊の尖る口をこの一本で優しくたしなめちゃいますみたいなおつに澄ました指。
そうして魔法みたいに黙らせてスッと離れていっちまうんだろう。

その指ごと両手で包んで捕まえる。見かけより骨っぽい手。
「黒崎サ…」
気取った指を舌で濡らす。

たちまち指が本性を現した。
唇をこじ開けるように入ってくる。先が歯をなぞる。
「だからお礼はあとで」
と言いながら動くのを止めない。

見上げると瞼の下に逆さまの虹。
それが睫毛に陰った瞬間に唇を塞がれ…そしてすぐ離れた。

「スミマセン、続きやりたいんですけど…今時間がないんで」

ほら、だから期待しても全然なんだこの人は…

でも、
「期待して…いい?」
これっぽっちも期待しちゃいないけど。
「もちろん!…と言いたいとこですがあんまり期待されるとちょっと自信ないスねぇ」
もう。
何言ってんだ。
期待なんかしてないから。
ただアンタが俺の方向いてるだけで、こんだけ嬉しいんだ。
それをわかって欲しいだけ。


胸の噎えが痛いのは
ずっと走ってきたせい。

*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.


薄い膜のような水たまりの上。

これが霊子で出来ていてしっかりとしたものだと頭ではわかってはいても、
地面ではなく中空、しかも黒腔という果ての見えない空間に浮いてるものだから一歩一歩踏み出すのに反射的に躊躇してしまう。
おまけに踏み出すたびにおつりが来る、波紋が広がるといった見た目はまんま水だから余計に。
これならいっそ凍らせてくれてた方が(季節的にも)いいような気がするけど、
足場の形状にも気を使わなくてはいけないみたいだから、この上を行くしかない。

はいえ

「あまり時間がないんで」

と急かされても、思うようにスピードは出ない。

主は数歩先を行っているが、ややもすればすぐにその差は十数歩、数十歩になってしまう。
その度に主は立ち止まり待っててくれたけど、
途中からそう呑気にはしてられなくなったのか、
「黒崎サン」
と手を伸ばしてきた。

手伝いに来たのに足手まといになっているみたいなのが嫌で最初は断ったけど、差は開くばかり。
これじゃあ余計に足を引っ張るなと『大人の』判断をして、
変なプライドは捨てて何度目かに差し出された手を取った。

ぐいっと引っ張られるのが荒っぽく感じて主を苛つかせているのではないかと俺の手は主の手の中で小さくなる。

けれど俺の手に絡む手から伝わるのはそういう邪険さは微塵もなくて…俺の手より幾分か大きい手は優しく包んでくれてるような気がした。
本当にそうだといいけど先を行く主の表情は見えない。

でもおかげで意識がそれて足元の危うさが気にならなくなる。
やがてビシャビシャと水を跳ねさせて走ることに快感すら覚えてきた。
そうこの感覚。
お気に入りの長靴とお気に入りの合羽の完全装備で無双だったんだ。
あの装備はもうないけれど、心踊る驀進感万能感は完全に思い出した。
楽しい。さっきの横断歩道といい、この道行きはなにか童心を揺さぶる。だから主も心持ち楽しそうなのかもしれない。

それにしても…
踏み出すたびにバシャバシャと跳ね波紋を広げる水たまりは霊子で出来ているというのにご丁寧に死覇衣の裾まで濡らす。
朝の暴風雨を思い出した。

台風は今どんな具合だろう。
勉強部屋もここ(黒腔)もそんな外界とは無縁なところだからうっかり忘れそうになっていた。

某駄菓子屋店主談によると台風自体はあまり大きくないらしいけど心配だ。
ああそうそう、遊子は無事にケーキを焼けているだろうか?

不意にパシャリという音がいやに響いて我に返る。

「台風、もう接近して通過してる頃ですよ」

俺の心のうちを見透かしたみたいなタイミングで主が言う。

「わかるんだ」
「わかりますよ。それがアタシの今一番の興味事なんスから」

え?
台風のことを言っているのか?
それとも…俺の心の…うち?
今一番の興味事?

うんにゃ、ないない。
台風のことを言ってるんだ。
今日台風だからという理由でわざわざ休みなのに誕生日なのに俺は呼び出されたんだ。

つまるところ主の中じゃ

台風>>>俺

くらいなんだろ。

普段だって

宿題(鞄の中の教科書)>>>俺

だもんな。

あ〜あ。

いつもは…ある程度以上は考えないようにしてるのに今日は一気にここまで考えてしまった。

もげる。

「黒崎サン、疲れました?」
「はぁ?疲れてねぇし!」

疲れてない。
もげてるだけだ。

しかも自分の思考に。自家中毒という言葉を思い出した。

「あと少しですんで。ほら見えてきましたよ」

言われて先を見れば水たまりの先に小さく光っているのが見える。

「あれ?あの光ってるとこ?」
「そうです」
「あれが歪み?」
「正しくは亀裂っすね」
「あれを塞ぐ訳?」
「いいえ、むしろ」

バシャバシャと立つ水音も邁進に走る分にはおつなものだが、
会話するとなると割って入ってくるのが少しうっとうしい。
主もそう感じたのか立ち止まる。
続いて俺も。
水音が止む。
最後の水音の残響が黒腔の気流に飲み込まれた。
主と俺はまだ波紋の残る水たまりの上に立っていた。
立ち止まると自分の息が上がっていたことに気付く。
しかし主は息も乱さすよく通る声をさらにトーンを上げはっきりと言い放った。
「こじ開けます」


意味が分からない。
言うことがころころ変わる。今日の主は変だ。


喉が乾く。嫌な胸の動悸。
繋いでいた手を離す。


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